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アベノミクスどこへ? 日銀変えた「異形の経済政策」の行方

2022年07月14日15時00分

 安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、経済政策である「アベノミクス」の行方がにわかに注目を集めている。岸田文雄政権のこの政策に対する姿勢はいまひとつはっきりしないものの、2013年に始まったこの異形の経済政策は日本銀行の姿を大きく変えてしまった。(帝京大学経済学部教授、元時事通信解説委員長 軽部謙介)

「異次元緩和」の始まり

 アベノミクスの枠組みが形成されたのは12年。この年、自民党の総裁選に勝利し復活を遂げた安倍氏の周辺には、リフレ派と呼ばれる面々が集まってきていた。元財務官僚の本田悦朗氏や高橋洋一氏、米エール大学名誉教授の浜田宏一氏、元東燃会長の中原伸之氏らだ。

 彼らは物価が持続的に下落するデフレこそ日本経済で最大の問題だとして、「デフレは貨幣的な現象なので、日銀が金融緩和を行えば脱却できる」と主張。安倍氏にリフレ理論を教授するとともに、同年12月の衆院選でも公約にこんなフレーズを潜り込ませた。

 「一日も早いデフレ・円高からの脱却に最優先で取り組む。明確な物価目標(2%)を設定し、目標達成に向け、日銀法改正も視野に、政府・日銀の連携の仕組みをつくり、大胆な金融緩和を行う」

 これはアベノミクスの「3本の矢」―大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略―の1本目の矢として選挙でアピールされることになる。

 安倍氏が首相に返り咲くと、本田氏や浜田氏は内閣官房参与として安倍側近となり、日銀との間で「共同声明」という形で政策合意を取り付けた。日銀はこれにより2%の物価目標達成に全力を挙げざるを得なくなり、ちょうど就任した黒田東彦総裁の下、「異次元緩和」が始まった。

 それから10年。物価はロシアによるウクライナ侵攻で起こった原油高などにより、ようやく2.5%(総務省調べ、5月の消費者物価指数総合指数)まで上昇してきた。

日銀が「全能の神」に

 しかし、その中心的な役割を果たした日銀の変貌は著しい。アベノミクスの副次的効果として日銀が「全能の神」のようになってしまったのだ。

 異次元緩和と称して市場の国債を買い続けたおかげで、保有する国債は約541兆円(2022年7月10日現在)に達する。購入した国債は日銀の会計上、「資産」として扱われる。どんどん国債を購入したことで日銀のバランスシートは極端に肥大化した。

 図体が大きくなっただけではない。日銀は日常的に「金融調節」を行っているが、アベノミクスの途中まで対象は短期金利の操作が主だった。

 金利には、非常に期間の短い「コール市場」の短期金利から、償還期間数十年の国債につく超長期金利までさまざまな種類がある。このうち、以前から日銀が操作するのは短期金利だった。期間10年などの長期金利のコントロールについては「日銀にはできない」として手を出そうとしてこなかった。

 それを一変させたのがアベノミクスだ。16年9月、かつては自身が「絶対できない」と主張していた長期金利のコントールに乗り出した。長期金利は経済の動向にとって非常に重要な要素であると同時に、国家財政の命運に直結する。その長期金利決定の権限を中央銀行が手にした意味は小さくない。

 さらにアベノミクス期間中、日銀は株式市場にまで本格的に手を出し始めた。上場投資信託(ETF)の購入という形ではあるが、株価全体が大きく下落した時に日銀が大量の買いを発注してきたため、株式市場には安心感が与えられていた。株式購入そのものは不良債権処理と金融システムの安定化を目的として速水優総裁時代にスタートしたが、金融政策に伴う資産購入の一環として明確に位置付けられたのは白川方明総裁時代からだ。黒田総裁になってその購入ペースが一気に上がり、残高は約36兆円(2022年7月10日現在)。結果的に多くの企業の筆頭株主になってしまった。

市場機能が「摩滅」

 「国債でも株式でも、金融調節に必要な購入するべき資産と考えれば同じこと」と日銀当局者は説明するが、国債は償還期限が過ぎればバランスシートから消えていく。しかし、株式はその会社が倒産しない限り日銀の資産として残る。それだけではない。自由な値決めは資本主義の基本なのに、日銀という公的機関が株式市場で圧倒的な存在感を示すのは異常なこと。株式にしろ、国債にしろ、アベノミクスの柱である「大胆な金融緩和」を実施した結果としての日銀の権能拡大は「市場機能の摩滅」という重大な副作用も伴っているのだ。

 ただ、日本の中央銀行の姿をこれだけ大きく変貌させた安倍氏自身は、なかなか2%に届かない金融政策への関心を失ったようで、途中から財政政策へのシフトを鮮明にしていた。のちに安倍氏は自民党の会合で自身の考え方の変化についてこう説明している。

 「安倍政権では比較的金融政策を大切にしてきたが、中盤くらいから財政政策が必要だと思うようになった」

 首相を退陣してからはこの変身が一層鮮明になっていった。関係者によると、自民党内で財政問題を議論するために昨年12月に立ち上げた財政政策検討本部の議論では「財政再建目標は政権運営の邪魔になるし、政策決定者の意思決定をゆがめる可能性がある」と断言。自ら先頭に立って積極財政の必要性を説いていた。

行く末は次期日銀総裁の手に

 岸田首相が安倍氏なき自民党の中で、アベノミクスをどうするのかは明確ではない。先月1日には衆院予算委員会で看板政策「新しい資本主義」について聞かれ、「マクロ経済政策は維持しながら、アベノミクスとは違う経済モデルを示している」と説明したが、マクロ政策運営の指針となる「骨太2022」はアベノミクスの3本の矢がそのまま書かれている。

 ただひとつ言えることがある。それは、岸田政権がアベノミクスをどう扱おうと、姿を変えてしまった中央銀行がすぐにスリムになることはあり得ないということだ。肥大化したバランスシートや拡大した権能をどのようにしていくのかは、非常に難しくかつ慎重に扱うべきテーマとして、岸田首相が選ぶ次期日銀総裁に託されることになる。

 安倍氏は生前「日銀は政府の子会社」と言い放ったが、アベノミクスの行方は「子会社の社長」である日銀総裁の手に委ねられることになりそうだ。

【筆者略歴】1979年時事通信入社。ワシントン支局長、ニューヨーク総局長、編集局次長、解説委員長などを歴任。2020年4月より現職。主な著書に「ドキュメント 強権の経済政策」「官僚たちのアベノミクス」(いずれも岩波新書)、「検証 バブル失政」(岩波書店)など。

(2022年7月14日掲載)

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