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がん生ききったイラスト画家のこころ 寺中有希「自分のとなりに座ってみたら 私の幸せチャレンジ:明るいほうへ、楽しいほうへ」

2022年07月31日12時00分

 その不思議な絵に出会ったのは、昨年の暮れだった。東京・駒込の鍼灸(しんきゅう)師、竹井智子さんが、患者さんがすてきなカレンダーを作ったので見に来たら、と誘ってくれたのだ。(ジャーナリスト・松田博公)

 それは表紙の絵だった。原画は水彩で、大地に立つ女性の姿を描いている。「うねる大地から体に入ったエネルギーの流れが、背中を通って手から出ている。宇宙の気と一つになった女神さまね」と竹井さんは感動している。わたしも同感だった。

 絵の作者は、寺中有希(てらなか・ゆき)さん。乳がんの脳転移にめげず創作を続け、2月には絵と短文をコラボした『自分のとなりに座ってみたら 私の幸せチャレンジ 明るい方へ、楽しい方へ』(りょうゆう出版)を出版するという。

 けれど、年明けに届いたのは思いがけない彼女の訃報だった。そして一カ月後、手にした本は、わたしの厳粛な思いとは裏腹にゆったり、ほんのりした線と色彩、言葉に満ち、表紙のデジタル画が、全体のメッセージを表現していた。自然をあしらった色鮮やかな衣服、脚を開きどっしり腰を構える。本の中の同じ絵には、「幸せをたんまり集める! 空気中の幸せをたんまり集める動作をしてみたら、ほら集まってくる!」と文章が添えられている。

 落ち込んで、自信を失い自分が嫌いになった日にページをめくり、こんな言葉とカラフルな絵に触れれば、凍ったからだも溶けるだろう。

「心も体もまあるくまあるく。まあるくなって動かないでいても、まあるく動いてみても、なんだか幸せ」

「いいの、いいの。今日はそのままでいいの」

「大安は自分で作れる! ほら、踊ってみようよ! 今日は大安!」

 そして、心を解きほぐす方法。

「悪いことが起きたらすぐ流す、いいことが起きたら、ふわっと抱きしめて、感謝を込めながら流す。その繰り返しが循環を生み、私は何にもとらわれないで、ふわふわと漂っていられる。さらさらと流れていこう」

 有希さんが乳がんを発症したのは、2015年。背骨、骨盤、脳と2年ごとに転移し、47歳で亡くなるまで7年間、化学療法を受けてきた。この本の絵や短文は、幸福学を提唱する前野隆司・マドカ夫妻にインタビューしたのをきっかけに、2020年7月から2021年9月までSNSに掲載した。それは、副作用の苦痛、死の不安、家族と別れる予感にさいなまれる日々と重なっていただろう。あったはずの葛藤が、この本にはみじんもない。それを思うと、問わざるを得ない。この本は、単なる癒やしワールドではない。それを超えた、人とともに幸福でありたいというひたむきな願い、絶望しない強靭(きょうじん)な生きる意思は、どこから来たのか。

 夫の祥吾さん(38)が話してくれた。祥吾さんは、離婚し二人の子供を育てる有希さんと前職の教育研修会社で知り合い、2016年に結婚した。そして一緒に、「私の表現に触れる」をテーマに遊びと学びの場を提供する「まんぷく食堂」を運営してきた。

 「有希は、もともと、ゼロか百か、という硬さがあって、人に求め過ぎて苦しむようなこともありました。その硬さが、結婚して数年間ですごくほぐれていった。絵と文章で投げ掛ける『こうなっていたいな』、という未来の姿に彼女自身なっているな、と思える状態になっていった」

 有希さん自身、この本で、40歳になっても自分は変われた、人は変われるという喜びを語っている。有希さんは、しんどい時ほどたくさん絵を描いた。下書きはしない。「線についていく、という言い方をしていました。描きながらどうなっていくのか、自分でも分からないことがある、と」。即興演奏のようなその描画法も、魂を解放しおのずからの変化と成熟をもたらす力になってくれたことだろう。

 亡くなる三日前には、透明感のある空へ、天狗(てんぐ)の風に乗って飛んでいく絵を描いた。以前、祥吾さんと行った鎌倉の建長寺の天狗が住むという高台のイメージを込めている。

 「最後は天狗の風に乗っていくなんて、絶望しない決意そのものですよね」と、死の前日に自宅を訪れ治療した竹井さんは話す。「有希さんのケアを引き受けた時、最初に約束事をしたんです。死にたくないって、思わないでねって。人はいつかは死ぬ。死にたくないって、無意味でしょ。大事なのは、生ききること。ひたすら生きることだけ考えようって」

 「意識が先に絶望してはだめ」とも言ったという。「意識の私にかかわらず、細胞の私は生きようとする。意識が先に絶望しては細胞たちに申し訳ないでしょ、って」

 こういうとき、大方の患者さんは、「でも、死にたくない」と反応する。有希さんは違っていた。「そうですよねって、すっと受け入れた。なぜこの人、それができるんだろうって思ったんですよね」

 有希さんは、この時すでに、からだの細胞が宇宙に舞う絵を描き、「細胞が喜ぶことをしよう。ごちゃごちゃとした頭や言うことをきかない言葉のためでなく」と書いていた。有希さんは、そういう人だった。

 その思いの詰まった本が今、読者から「ふわっとやさしさにつつまれる」という感想で受け止められている。

 祥吾さんは、「まんぷく食堂」で有希さんの遺志を継ぐ計画を練っている。彼女のデジタル画をオープンにし、使いたい人に使ってもらうのはどうだろうか、カレンダーも出し続けよう。2023年版の準備はもう整っている。

(2022年8月6日掲載)

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