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消えつつあるイタコに見る日本人の心象風景 写真集『TALKING TO THE DEAD』

2022年07月23日12時00分

 青森県に今も残るイタコの姿を追った写真集が出版されました。亡くなった人や霊と交信する口寄せという形態から「怪しいもの」と思われがちですが、地域にとっては悩みを聞いてくれる心理カウンセラーとしての役割も大きかったとされています。このイタコの写真集を企画した意図、そしてイタコという存在への思いについて写真集を企画・出版した蛙企画(東京)の篠原匡さんに寄稿していただきました。

◇  ◇  ◇

 読者のみなさんは「イタコ」という言葉を聞いて何を思い出すでしょうか。「死者の口寄せ」や「恐山」、あるいは「胡散臭い」というイメージを持つかもしれません。それでは、イタコが絶滅の危機に瀕しているという現状はご存じでしょうか。「イタコ、ああ恐山のね」という方は大勢いると思いますが、イタコの現状を知る人はそれほど多くないと思います。

 いわゆる歴史的伝統的イタコは、2000年代以降、その数を大幅に減らしています。イタコ文化の保存や伝承に努めている青森県イタコ巫技伝承保存協会の江刺家均会長によれば、常時活動しているイタコは4人に過ぎません。その中でも、元々の成り立ちに関わる目の不自由なイタコは、90歳になる中村タケさんお一人です。

 イタコとは、青森県に実在している女性霊媒師。今は死者の口寄せで有名ですが、元々は霊的なものをベースにした地域のカウンセラーで、嫁姑問題や夫婦問題、健康問題など集落の女性の身近な相談に乗る存在でした。

 また、本来は目の不自由な女性の仕事であり、はしかなどで視力を失った女児に生きるための手段を与えるという、集落の弱者救済システムという側面がありました。

 通常、イタコは免許皆伝の証として師匠イタコに伝授された「オダイジ」という竹の筒とイラタカ数珠(イタコ数珠)を持っています。また、八戸市を中心とした南部イタコの場合、始祖である太祖婆(たいそばあ)を源流に、師匠・弟子の系譜がある程度、分かっています。

 そのため、青森県イタコ巫技伝承保存協会はオダイジとイラタカ数珠を持ち、かつ師匠系譜をたどれるイタコを歴史的伝統的イタコと定義づけ、自称イタコ、商業イタコと区別しています。先ほどお名前を出した中村タケさんも、「最後のイタコ」として有名な松田広子さんも上述の条件を満たした存在です。

 なお、イタコと言えば「恐山」のイメージが固まっていますが、恐山に通うのは夏と秋の例大祭の時だけで、普段は八戸市の自宅で暮らし、訪ねてくる人の相談に乗っています。ここ数年はコロナの影響もあり、例大祭に通う歴史的伝統的イタコはいなくなっているのが現状です。

 今回、蛙企画は内外で活躍する写真家の和多田アヤさんとともに、イタコ写真集『TALKING TO THE DEAD』を出版しました。消えゆくイタコとその文化を記録するというジャーナリスティックな目的に加えて、死者の口寄せのような「虚構」を成立させている日本人の霊魂感・宗教観を日本人として理解したいと考えたからです。

 私自身、身内が新興宗教に傾倒して家族が苦労した経験があり、宗教そのものを嫌忌してきました。今回の写真集を作るまで、イタコの存在も正直、胡散臭いと思っていました。ただ、どこまで信じているかは別にして、京都五山の送り火が象徴しているように、亡くなった人間の魂が里と山を行き来するという世界観は日本人の精神に奥深く染みこんでいます。これは、イタコを成立させている世界観そのものです。

 この写真集には、著名な宗教学者で思想家の山折哲雄さんや、同じく宗教学者で上智大学グリーフケア研究所の所長を務めた島薗進さんなど、この分野の大家と言える方々に寄稿いただいています。それも、日本人の信仰を再確認する一助になればと考えたことによります。

 写真集という観点では、霊魂のような目に見えないもの、あるいは深い悲しみとともにイタコの元を訪れる人々の内面をどのように表現するかという点に難しさがありましたが、この点は和多田さんとアートディレクターの門馬翔さんのお二人がうまく表現してくれました。

 特に、和多田さんはご自身が身内を亡くされたこともあり、口寄せに訪れる人々の心象風景をご自身に重ね合わせて撮影されていました。現像したプリントに写っているのはイタコであり、霊場などの風景ですが、その中には無数の人々の情念が浮かび上がっています。

 最終的に写真集が出来上がり私が感じるのは、イタコの本質は、悲しみの共有と癒やしにあるのではないか、言い換えれば、昔の人が生み出した一種のグリーフケア(悲しみの癒やし)の仕組みなのではないか、ということです。

 愛する人や親しい人を失った悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。その死が突然であればあるほど、心に空白が生まれるでしょう。多くの人は時間をかけて悲しみを受け入れ、自分なりに消化し、心に刻み込まれた痛みとともに新しい一歩を生み出していきます。その一歩を生み出す力を、イタコが与えているように感じるのです。

 現に、写真集の制作にあたり中村タケさんの実際の口寄せを全文テキスト化しましたが、タケさんが話していることは相談者を安心させるような言葉ばかりです。「あの世で元気にしているよ」「こうして呼んでくれてありがとう」。悲しみに暮れている相談者にとって、こういった言葉の一つひとつが未来に向かう一助になります。

 科学技術の発展でわれわれの生活は驚くほど豊かになりましたが、スピリチュアリティ(霊性)を求める人々がなくならないように、物質的な繁栄と心の充足はイコールではありません。令和の今の後講釈だということは理解していますが、だからこそ、人々は太古の昔から信仰という虚構を作り、恐怖や悲しみを他者と分かち合うことで克服しようとしたのではないか。今はそんなふうに感じています。

 安倍晋三元首相の銃撃があり、宗教と政治の問題が大きなイシューになっていますが、和多田さんの美しくも情緒的な写真を通して、改めて日本人の奥底に眠る信仰について考えてみてはいかがでしょうか。

篠原匡(しのはら・ただし)作家・ジャーナリスト・編集者 慶応大学卒業後、日経BPに入社。日経ビジネス記者や日経ビジネスオンライン記者、日経ビジネスクロスメディア編集長、日経ビジネスニューヨーク支局長、日経ビジネス副編集長などを経て、2020年4月に独立。主な著書に『腹八分の資本主義』(新潮新書、2009年)、『ヤフーとその仲間たちのすごい研修』(日経BP、2015年)、『House of Desires ある遊廓の記憶』(蛙企画、2021年)、『誰も断らない 神奈川県座間市生活援護課』(朝日新聞出版、2022年)など。

(2022年7月21日掲載)

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