会員限定記事会員限定記事

全仏テニス混合ダブルスで25年ぶり快挙の柴原瑛菜 米国で育んだ才能、赤土で花開く

きっかけはインスタ

 テニスの四大大会第2戦、全仏オープン(パリ・ローランギャロス)の混合ダブルスで柴原瑛菜(しばはら・えな)=橋本総業=、ウェスレイ・コールホフ(オランダ)組が初優勝を果たした。全仏の同種目で日本選手の制覇は、1997年大会の平木理化以来で25年ぶり。四大大会では99年全米オープンの杉山愛以来で23年ぶりの快挙。幼少期から家族でダブルスに親しんで育った24歳。2024年パリ五輪の会場となる赤土のコートで、非凡な才能が大きく花開いた。(時事通信ロンドン特派員 青木貴紀)

◇ ◇ ◇

 狙い通り、鮮やかなサービスエースを決めて夢をかなえた。拍手と歓声に包まれるセンターコート。柴原は晴れ渡る空に向かって、両手を真っ直ぐ突き上げた。6月2日のウルリケ・アイケリ(ノルウェー)ヨラン・フリーゲン(ベルギー)組との決勝。第1セットはタイブレークで2―5の劣勢から5ポイントを連取。第2セットは寄せ付けず、7―6、6―2でストレート勝ちし、「夢のよう。実感が湧かない」。夢見心地で輝くトロフィーにキスをした。

 2人がペアを組んだのは今大会が初めて。きっかけはインスタグラムだった。開幕の約1カ月前、9歳上のコールホフが柴原へダイレクトメッセージを送って誘った。ところが、2日間経っても返信がない。コールホフは「辛抱強く待っていた」と笑う。柴原いわく、コールホフをフォローしていなかったため、メッセージをチェックしていなかったそうだ。

 柴原が快諾してペアを結成したものの、全仏はぶっつけ本番。5月26日の1回戦はいきなり第1セットを落とした。プレーしながら互いの特長やリズムを理解していった。初めて一緒に練習したのは、同30日の準々決勝前だという。試合を重ねるごとに連係を深め、2回戦以降は1セットも落とさなかった。

混合ダブルスは原点

 柴原は父の仕事の関係で、米カリフォルニア州で生まれ育った。両親は日本人で兄が2人いる。兄の影響を受けて7歳でテニスを始めた頃から、「家族みんなで混合ダブルスをしていた。だから、この優勝はすごく特別」。混合ダブルスはテニス人生の原点。喜びはひとしおだった。

 家族以外にも幼少期から年齢や性別に関係なくペアを組み、地元の大会にダブルスで出場していたという。「いい意味で遊びながら」ダブルスに必要な動きとメンタルを身につけた。「大事なのはコミュニケーションと相性。どんなパートナーでも一緒にポジティブにプレーできる」と話す。

 コーチを務める父や兄の球を受けて成長してきたことも生きている。混合ダブルスは女子選手に球が集中する傾向にあり、男子の強打に打ち負けない能力が求められる。柴原は「強いサーブをリターンすることに慣れている。体に染みついている」と苦にしない。今年からシングルスにも力を入れてフィジカルトレーニングに励み、サーブやストローク力はさらに磨きがかかった。

「パワフルでうまい」

 コールホフは柴原を誘った理由をこう説明する。「エナを四大大会やツアーで見ていた。とてもパワフルで、ベースラインからのプレーがとてもうまい。ネットプレーやサーブも上手。混合ダブルスで最もブレークされやすいのが女子選手がサーブするゲーム。ここを抑えることが重要なんだ」

 柴原は期待に応え、決勝では自身のサーブによるサービスゲームを全てキープ。計3本のエースを決めてみせた。6月27日開幕のウィンブルドン選手権でペアを組むかどうかは未定。柴原は「組みたいけど、(コールホフは)男子ダブルスが5セット制なので(体力と日程的に)難しいと感じる。全米オープン(で組む可能性)もあるかなと思う」と話した。今後再び、2人の絶妙なコンビネーションを見られるかもしれない。

パリ五輪へ膨らむ期待

 柴原は、日本で暮らす祖父母に東京五輪で日本代表としてプレーする姿を見せたいとの思いがあり、19年夏に日本国籍を選択した。新型コロナウイルスの影響で東京五輪は無観客開催となったが、ダブルス2種目に出場。マクラクラン勉(イカイ)と組んだ混合では準々決勝に進んだ。

 パリのローランギャロスはパリ五輪のテニス会場。2年後へ期待が膨らむ。夢はダブルスとシングルスで世界トップ選手になること。「今後、この経験で自信を持ちたい」。さわやかな笑顔を振りまいた柴原の視線は、力強く前を見詰めていた。

(2022年6月10日掲載)

◆スポーツストーリーズ 記事一覧

話題のニュース

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ