会員限定記事会員限定記事

がん経験者、生きる喜びをビールに 闘病経験生かし就労支援も

2022年06月02日12時00分

 がんを乗り越え、生きている喜びや苦しみを分かち合えるビールを造ろう―。こんな試みが、闘病を経て働く「がんサバイバー」有志で進められている。

 がん経験者だからこそ感じる人とのつながりや命がある幸せを、友人や仲間と酌み交わすことの多いビールを通じ再確認する活動だ。がんだけでなく、新型コロナウイルスなどで不安を抱える人たちが前を向けるよう、8月の発売を目指している。(時事通信経済部・早川奈里)

人生の喜び、つらさを表現

 中心となったのは、がん患者の就労支援組織「一般社団法人CSRプロジェクト」(東京都千代田区)のメンバー。新型コロナウイルスまん延前の2019年6月、都内でがんサバイバーら約50人で開いた飲み会が、ビール造りのきっかけになったという。

 自身も頸部(けいぶ)食道がんによる声帯切除を経験したサッポロビール人事部の村本高史さんは、参加者が打ち解け語り合う姿を見て「がんを経験した人がお酒を飲みながら病気や人生を語る場があってもいいのではないか、と考えた」と振り返る。

 ビール造りは新型コロナ感染拡大を考慮し、オンラインで進められた。

「苦しい治療を乗り越えた解放感を表したい」

「生きる幸せ、喜びを分かち合いたい」

「旅立った仲間と乾杯したい」

 がんを乗り越えたからこそ感じる人生のつらさや生きることの素晴らしさを、ビールでどう表現するか。味やパッケージについて、約70人で21年5月から3回にわたり議論を重ねた。

 さまざまな意見やイメージをもとに試作を重ねて完成したのは、爽やかな香りと後味の中にほろ苦さを感じるビール。グラスに注ぐと輝く黄金色が印象的だ。

「一人でゆっくり、みんなでワイワイ、どんなシチュエーションでも飲める」

「(抗がん剤の影響で冷た過ぎると刺激があるが)キンキンに冷えていなくてもおいしい」

 2月23日、少人数ごとの試飲会後に行われた最終ワークショップでは、そんな喜びの声があふれた。

 今後は、サッポロビールが持つ消費者のアイデアをもとに独自のビールを造る枠組み「HOPPIN’ GARAGE(ホッピンガレージ)」を通じて商品化。8月に同社のオンライン通販で売り出す予定だ。

 がんとお酒は一見結び付きにくい。病気の公表後に酒席へ誘われる機会が減ることも多く、がん経験者は寂しさや疎外感を覚えることもあるそうだ。実際は、主治医の了承があれば適量の飲酒は認められるという。

高まるがん患者への職場支援ニーズ

 職場でがん経験者がつながりを持ち、個々の経験や利用可能な制度の情報を共有する必要性は近年、より高まっている。治療方法の進歩とともに通院期間が長くなり、働きながらがんと闘う人が増えているためだ。

 ただ、がん患者の悩みを聞き支える「ピアサポーター」は、これまで病院内のボランティアなどが主体となっており、労働者の視点で寄り添うことが難しかった。

 CSRプロジェクトで取りまとめ役を務める桜井なおみ代表理事によると、がん罹患(りかん)者の早期離職率は約5割に上るという。桜井さんは「がん当事者の理解促進や離職予防、企業の健康経営のためにも、組織内で実態を理解して環境調整できる人が必要」と指摘する。

 こうした状況を変えようと、CSRプロジェクトでは20年、パートナー企業のアフラック生命保険、カルビー、サッポロビール、電通の4社でがんの基本知識や相談に応じる際のスキルを学ぶ合同研修を実施。参加者は相談者の悩みに耳を傾け、希望する働き方や仕事とプライベートの両立方針などを聞き、考えを整理する重要性などを学んだ。この研修が好評だったため、現在はオンライン開催も含め企業向けに研修会を開き、患者役とサポート役のロールプレーイングなど実践的な学びの機会も提供している。

経験をより良い人生の糧に

 個別の企業でも、がん経験者による従業員支援の取り組みが広がる。サッポロビールでは19年3月、がん経験者同士の相互支援や、就労支援制度に関する意見交換などを目的としたコミュニティー「Can Stars(キャンスターズ)」を立ち上げた。社内の希望者に向け、昼休憩中にがん経験者の体験談を聞く座談会を開催したり、社内の就労支援制度づくりや運用に向けての意見交換をしたりするなど、がんを抱えながら働きやすい風土づくりに取り組んでいる。21年には、がん経験者の社員本人に加え、家族ががんを経験した社員にも参加資格を拡大。他企業の同種組織と交流し、情報交換も行っている。

 カルビーでも21年8月、がんを経験した社員とサポートを希望するメンバーが集まったコミュニティー「Cal CAN’s(カルキャンズ)」を発足。仕事と治療の両立に向けて活用できる制度や社内外の相談窓口、事業所ごとの問い合わせ先などを記した「もしも、がんになったらガイドブック」を取りまとめた。

 ガイドブックには実務的な制度解説のほか、職場復帰時の心構えや過度な気遣いへの対処法などのコラムも掲載。がんになり不安を抱える社員を支えるため、細やかな気配りがちりばめられている。

 このほか、CSRプロジェクトではアパレルメーカーのマザーハウス(東京)と「乳がん経験者向けのバッグ」を開発するなど、外部企業との協業にも取り組む。このバッグは痛みに敏感になっても使いやすいよう、肩ひもにクッション材を入れるなどの工夫がされているが、荷物の多い会社員男性などがん経験者以外にも好評だった。桜井代表理事は「がん経験者に優しいものづくりが、結果的に誰にとっても優しいという価値創造につながった」と話す。

 こうした支援策づくりや外部との協業は、がん経験者が自身の経験を振り返り、この先の人生に向かって歩きだすきっかけにもなるという。今回実施したビール造りは、その中でも「おいしい」「楽しい」という幸福感に直結するため、製造過程であれこれ想像を巡らせ、「参加者自身が、普段見過ごしていたことに注目し語り合うきっかけになった」(桜井代表理事)という。

 8月に発売されるビールの商品名は「Thanks&Cheers(サンクス・アンド・チアーズ) であいに感謝、いのちに乾杯」。人とのつながりや生きる喜びをより感じられるよう、販売時には参加者の思いをまとめた冊子を付ける予定だ。がん経験者だけでなく「コロナなどで不安を抱えるすべての人たちに、このビールを飲むことで喜びを取り戻してほしい」。サッポロビールの村本氏は、最後のワークショップをこう締めくくった。

(時事通信社「厚生福祉」2022年5月13日号より)

(2022年6月2日掲載)

話題のニュース

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ