会員限定記事会員限定記事

「東京2020オリンピック SIDE:A」(日)【今月の映画】

2022年07月15日12時00分

河瀬直美監督

スポーツを通して見える現代、人生の勝利の意味を描き出す

 今から数十年後、あの夏を振り返るときに私たちはどんな言葉で語るのだろうか。2021年に開催された「東京2020オリンピック」のことである。世界中を襲った邪悪なウイルスの影響で史上初めて1年の延期を余儀なくされたスポーツの祭典は、最後までやまなかった反対意見を押し切って開催された。それが正しかったかどうかは後世の判断も待つことになりそうだが、確かに一つ言えることがある。あの夏、私たちの知らない場所において、人生の尊い瞬間と未来への輝く希望が生まれていたという事実だ。

 河瀬直美監督の手による大会公式記録映画は2本立ての構成。アスリートにスポットを当てた「SIDE:A」は人間とスポーツの関係、そして生きることの意味を問い掛けている。(時事ドットコム編集部 冨田政裕)

 この作品を見ると、スポーツという文化の意味合いが半世紀余りで大きく変わったことを改めて実感する。

 1964年に開催された東京五輪の公式記録映画(市川崑監督)では、作品全体に日本人の高揚感があふれていた。敗戦国である日本に世界中から笑顔の外国人が集まった初めてのイベント。肌や髪の色が違う外国選手を一目見ようと人々は押し合いへし合いし、聖火リレーが来れば熱狂が生まれる。その様子をフィルムに収めることが作品の土台となった。

 競技面に関しても、市川監督はスポーツの美しさと感動を大事にした。筋肉の束がきりきりと浮き上がる様子や、女子体操選手の柔らかくしなやかな動き。陸上男子100メートルの決戦を前に緊張するスプリンターの顔。血がにじむマラソン選手の足。柔道無差別級のヘーシンクと神永昭夫の戦いや、女子バレーボールの「東洋の魔女」のような勝敗のドラマだけでなく、競技のディテールを追った映像の美は高く評価された。

 いわば「より速く、より高く、より強く」の精神とともに、スポーツが国境も人種も超える共通言語であることを紹介したのが64年版だった。

 しかし私たちは今、高画質の超スロー再生映像を当たり前のように楽しみ、遠い国で開催される世界選手権などをテレビやネットで手軽に見られる時代に生きている。冷戦後の穏やかな時間はつかの間の物に終わり、グローバル化や情報化社会が恩恵だけでなく、新たな不安を次々と生んでいることも知っている。

 こうした状況にパンデミックが加わったときに、2度目の東京五輪は開催された。コロナ禍の行方が見通せない中、記録映画の方向性を定める作業は容易ではなかっただろう。大会の1年延期もあって、撮影は750日、計5000時間に及んだという。そこでまずは膨大な撮影記録の中から「東京2020」をめぐる紆余曲折の記憶をすくい取り、作品導入部の映像でテンポよく示した。大会招致成功の歓喜に始まり、その後の準備過程の混乱、医療現場の困惑。ブルーインパルスの飛行に目を輝かせる人たちと、開催に反対するデモ活動の対比など。

 その先に映画の核心部がある。東京オリンピックに挑んだアスリートたちにフォーカスを絞ることによって、現代の地球に存在するさまざまな問題や、現代人が抱える悩み、そして夢が浮き彫りになる。オリンピック中継を見ただけでは分からない等身大の現実がそこにあり、私たちにとってスポーツとは何かを改めて考えるきっかけが提示されている。

 丹念に拾い集めた映像からテーマごとにストーリーをまとめ、それを積み重ねるスタイル。短編集のような流れの中では一見、成功者の姿が目立っているが、耳を澄ませば、「成功」にたどり着けなかった人々のため息や、目を覆いたくなるような現実に苦しむ人々の叫び声も聞こえてきそうだ。

 それでも人はなぜスポーツに打ち込み、スポーツに人生をかける者に夢を託し、彼らを支持するのだろうか。そこから得られるものは何か。勝利とはいったい何なのか。映像を見る人の頭の中で、さまざまな思考が動き始めることだろう。

 今回の東京オリンピックは原則無観客で開催され、ホストタウンの交流事業なども次々と中止になった。肌の色も宗教の違いも超えて人と人が接し、互いを知り合うことによって初めて平和の礎は築かれる。そうしたオリンピックの理念と根幹が損なわれた大会だったことはまぎれもない事実として残っている。

 矛盾を抱えながら開催された東京オリンピックだが、この映画によって見えてくる光がある。正解は一つではなく、人の数だけ存在し得るということだ。勝利と敗北の意味、幸福のありかでさえも。ただ、人生を充実したものにするには必要なエネルギーというものもある。

 河瀬監督は高校時代にバスケットボール選手として活躍し、国民体育大会に出場した経験の持ち主。元アスリートならではの視点も生かした作品といえるだろう。藤井風さんが手掛けたメインテーマ曲「The sun and the moon」も、この映画が投げかける柔らかい光のように秀逸だ。

 「東京2020オリンピック SIDE:A」は6月3日公開。大会関係者やボランティア、医療従事者ら五輪を支えた人々を描く「同 SIDE:B」は6月24日公開。

(2022年5月掲載)

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ