松岡宗嗣・一般社団法人fair代表理事
6月は「プライド月間」と呼ばれ、世界各地でLGBTなど性的マイノリティーの権利の啓発に向けた取り組みが行われる。個人の性的指向や性自認について、本人の同意なく暴露するアウティングについて考えてみたいと思い、政策や法制度を中心とした性的マイノリティーに関する情報を発信する一般社団法人「fair」の松岡宗嗣・代表理事に寄稿をお願いした。松岡氏には「あいつゲイだって - アウティングはなぜ問題なのか?」の著書がある。
アウティングは「許されない行為」
「本件アウティングは、人格権ないしプライバシー権などを著しく侵害するものであって、許されない行為である」ー。これは2020年11月25日、「一橋大学アウティング事件裁判」東京高裁判決で述べられた言葉だ。
アウティングとは「本人の性の在り方を同意なく第三者に暴露すること」。15年8月、一橋大大学院のロースクールに通っていた大学院生が、ゲイであることをアウティングされ、校舎から転落死した。翌年、遺族がアウティングした学生と大学側を相手取り提起した訴訟が広く報じられ、この問題が世間に知られた。
性的マイノリティーが働きやすい環境づくりなどに取り組む認定NPO法人「虹色ダイバーシティ」と国際基督教大ジェンダー研究センターが実施した調査によると、 LGB他(同性愛者や両性愛者など)の27%、トランスジェンダーの37.6%がアウティング被害を経験している。
この数字の中には、アウティングされた後、特に大きな問題は起きなかったケースもあれば、一橋大学の事件のように、深刻な被害につながってしまったケースもあるだろう。本人はアウティングされていることを知らない場合もあり、数字に表れていないものもある。
なぜ暴露が問題なのか
性的マイノリティーの当事者の多くが、ある種の「綱渡り」な状態を生きている。暴露され、その後の生活や人生が脅かされてしまうかもしれない、そうした運命の分岐点に立たされている。
そもそも、なぜアウティングは命をも奪ってしまう可能性があるのか。それは、依然として社会に性的マイノリティーに関する差別や偏見が残っているからだ。自身の性の在り方が典型的ではないから、多数派に当てはまらないから、それによって学校や職場でいじめやハラスメントの被害にあったり、左遷や退職勧奨を受けたり、友人や家族との関係性が壊れてしまったり、今いる場所から離れなければならなくなったりする。
世の中の「普通」に当てはまらない属性や立場、経験は、ときにやゆや侮蔑の対象として、または好奇の的として、本人の意思にかかわらず広められてしまう。明らかに悪意を持って暴露されることもあれば、「別にたいしたことはないと思って」と広められてしまうことも少なくない。そのため、性的マイノリティーの多くは、自身の性の在り方に関する情報そのものだけでなく、それが知られることによって生じる被害のリスクを常にコントロールしなければならないのだ。
防ぐ方法は「本人確認」
アウティングは危険な行為だが、未然に防ぐ方法は至ってシンプルだ。それは「本人に確認すること」。当事者の中には、友人や家族、同僚、上司など、自身の性の在り方をどの範囲にまで伝えるか「ゾーニング」している人も少なくない。もし本人が第三者に伝えてよいのであれば問題ないが、共有されたくないのであればアウティングになる可能性がある。勝手に判断せず、本人への確認を徹底することが重要だ。
ここまで読むと、「そんなに深刻な情報であれば、最初から秘密を打ち明け(カミングアウト)ないでほしい」と思う人もいるかもしれない。そう思ったならば、なぜ性的マイノリティーの当事者は自身の性の在り方に関する情報とリスクを常にコントロールしなければならないのか、そうせざるを得ない社会をつくっているマジョリティー側の責任に目を向けてほしいと思う。
カミングアウトの自由は個人の権利
2018年4月、一橋大が置かれている東京都国立市で全国で初めて、アウティングの禁止を盛り込んだ条例が施行された。
条例の基本理念には次のように書かれている。「性的指向、性自認等に関する公表の自由が個人の権利として保障されること」。自身の性の在り方について、いつ、誰に、どの範囲まで伝えるのか、伝えたくないのか、そうしたカミングアウトの自由は「個人の権利」であると示された。その上で、条例ではアウティングの禁止だけでなく、カミングアウトの「強制」や「禁止」もしてはならないとされている。
国立市を手始めに、21年3月には三重県で都道府県レベルで初めて、同様の内容を盛り込んだ条例が成立するなど、自治体における条例の整備が広がりを見せている。国レベルでも、20年6月に施行された「パワハラ防止法」の指針で、アウティングはパワハラに含まれるとされた。性的指向や性自認は「機微な個人情報」であるとされ、企業などに防止対策を講じることが義務付けられたことは画期的だ。
性的指向や性自認は「機微な個人情報」
個人情報保護法には「要配慮個人情報」が規定されている。要配慮個人情報とは、「本人の人種、信条、社会的身分、病歴、犯罪の経歴、犯罪により害を被った事実」をはじめ、「本人に対する不当な差別、偏見その他の不利益が生じないようにその取り扱いに特に配慮を要するもの」と示されている。
上記のような、差別、偏見などの不利益が生じる可能性がある情報の取り扱いに「慎重さ」が求められることは、多くの人にとって納得できることだろう。
一方で「性」は誰にとっても身近であり、他方で根強い規範が社会に根付いているからこそ、典型的でない性の在り方は、嗜好(しこう)やネタとして扱われ、暴露しても「たいした問題ではない」と思われてきた。しかし、性の在り方も前述のような差別や偏見、不利益を被る可能性がある「機微な個人情報だ」という前提に立つことが求められている。
「アウティング」問題を切り口に
ただしここで、アウティングを禁止することで「アウティングによる被害や不利益がなくなるわけではない」こと、「アウティングの規制はあくまで過渡的なもの」であることを強調したい。
なぜ、性的マイノリティーは自らの性のあり方に関する情報とそのリスクをコントロールしなければならないのか。それは、社会に差別や偏見が残っているからだと述べた。つまり、根本的にはアウティングされたところで何も問題が起きないような社会を目指さなければならないのだ。
しかし、昨今多くの国で整備されている、性的指向や性自認に関する差別的取り扱いを禁止する法律が日本にはない。同性婚の法制化の議論は一向に進まず、婚姻の平等は達成されていない。トランスジェンダーらが法律上の性別を変更する際のハードルは著しく高く、その要件には、国際的にも人権侵害だと指摘されているものもある。経済協力開発機構(OECD)諸国のうち、性的マイノリティー関連の法整備状況を比較すると、日本は35カ国中34位と、ワースト2位だ。
こうした厳しい状況で、「アウティングという言葉すら不要な社会を目指す」という理想を掲げることが、今起きてしまっている深刻な被害を軽視したり、矮小(わいしょう)化したりする効果をもたらさないようにも注意したい。
ゴールや理想を掲げつつ、一方で今起きている現実の被害にどう対応するか。そのバランスを考えることが重要ではないだろうか。「アウティングはしてはならない」という原則を広く共有しつつ、アウティングという問題を切り口に、一人ひとりが「性」をめぐるこの社会の規範を捉え直すことが求められる。
松岡宗嗣(まつおか・そうし) 政策や法制度を中心とした性的マイノリティーに関する情報を発信する一般社団法人fair代表理事。ゲイであることをオープンにしながら、HuffPostや現代ビジネス、Yahoo!ニュースなどで多様なジェンダー・セクシュアリティに関する記事を執筆。著書に『あいつゲイだって - アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)、共著『LGBTとハラスメント』(集英社新書)など。(2022年6月14日掲載)