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ノーヒットノーランなぜ多い?権藤博さんに聞く 打者意識の変化で「野球が面白くなった」

開幕3カ月、はや4人

 今季のプロ野球では、開幕から3カ月以内で完全試合を含む無安打無得点試合を既に4人(4度)が達成した。これほど多いシーズンは戦前、まだプロ野球が草創期の時代にまでさかのぼる。なぜなのか。かつて中日の投手で入団から2年連続30勝以上を挙げるなど活躍し、監督としては1998年に横浜(現DeNA)を日本一に導いた権藤博さん(83)に聞いた。(時事通信運動部 前川卓也)

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 投手にとって大きな名誉と言える無安打無得点試合。4月10日に佐々木朗希(ロッテ)が球界28年ぶりの完全試合を成し遂げ、5月11日には東浜巨(ソフトバンク)、6月に入ると7日に今永昇太(DeNA)、18日にも山本由伸(オリックス)がいずれもノーヒットノーランを達成した。この人数、回数は1943年以来79年ぶりで、歴代最多となっている40年の5人(5度)に迫る。

「ちまちま安打」に執念薄く

 従来のセオリーなら、打線は「まず安打を一本」「そこからつないでいこう」との意識が浸透していたはずだ。試合終盤まで無安打が続けば、なおさらその傾向は強くなるとみられていた。権藤さんは、そうした風潮が変わってきたと指摘する。

 「要するに、打者の意識に変化が出てきたということ。米大リーグと一緒で、打者は凡打でも何でも点が入らなきゃ一緒ということから思い切って(振りに)いく。ちまちま安打を打とうということに、あまり執着がなくなってきている。それよりも、点を取らなきゃ勝てないから。佐々木(朗)投手の奪三振記録は別物だが、だからノーヒットノーランは出る」

 メジャーで提唱され、日本にも広がった「フライボール革命」という理論がある。ゴロよりも飛球で長打を狙った方が、得点効率が高まるというものだ。一方で軽打や進塁打など緻密な攻めが減り、淡泊な攻撃が増えたという指摘もある。実際に権藤さんは、日本球界も本塁打を含む長打狙いが増えたとみている。

 「日本の打者もそういう感覚。そういう傾向になり、ちまちま安打を打つというのは消えている。そんなことやっとれん、と。ノーヒットノーランをやられたとしても負けは負け。昔はノーヒットノーランをされたら恥みたいなものはあったが、今はそういうのはないと感じている」

 むしろ全力で攻める投手に対し、打者が思い切り振ってくるようになった点を歓迎。権藤さん自身、豪快な勝負が増えたことに心が躍るという。

 「これだけノーヒットノーランをやられると『別にどうってことないよ』となる。そもそも『ちまちま安打を打つより、まず勝たなきゃいかん』となって打ちにきているから、野球は面白くなったと思っているよ、私は」

速球と落ちる球のコンビネーション

 達成した4人の特徴や背景を見ていくと、いくつかの共通点がある。一つは150キロ超の直球と、落ちる変化球を武器としている点だ。打者の力や技術、用具が進歩した現在、バットの芯に当てさせないことは重要になる。

 「速い球もないといかん、なおかつ(速球を)狙われた時に対処する落ちる球もないといかん。そういうことですよ。この組み合わせがすごいと強いということですよ」

 投手の練習方法が進歩し、それが根付いてきた証しとも捉える。現役時代に連投で酷使され、短命のエースと言われた権藤さんの持論は、自身の経験に基づく「肩は消耗品」。故障を誘発する投げ過ぎが減り、合理的なトレーニングが確立されたとみる。

 「急に練習方法が進化したから良くなったわけではなく、それが積み重ねられてきた。昔の投手(の練習)は散々だったから。前は『投げ込め、投げ込め』と言って、投げないとコントロールとかが身につかんとか何とかというのがあった。そういうのがなくなってきた。これも大リーグがやり始めたことだが、むやみに投げ込むのではなく、そういう効率的、効果的なトレーニングが主流になってきた」

打者奮起で逆の現象になる可能性も

 4投手が所属するリーグで見ると、今永だけセ・リーグだが、達成したのは交流戦。今季の4度は全てパ・リーグの球団がやられている。パの各打者の本塁打数を参照すると、全体的に少ない。その分、投手が心理的に思い切り良く投げられる、あるいは打者のレベル自体が低下しているとの見方は。

 「それはない。打っている人は打っているから。西武の山川穂高選手とかは変わらず打っているでしょう。だから急に何かあったということではない」

 今年はまだシーズン折り返し前後。投打の調子や成績に偏りが出ている可能性も指摘する。

 「たまたまそういう時期が来ているだけかもしれない。これが2~3年続くなら話は別だが、これから打者も考えてくる。対策といっても今の投手がそんなに変わったわけじゃないから。ちょっとじゃないですか。そのうち彼ら(パの打者)も打ちだして、逆の現象が出てくることもあり得る」

 今のペースが続けば、今季は8人程度が達成する計算になる。ただし、夏に向かうこれからは投手のスタミナも問われ、疲労も蓄積する。快挙がさらに見られるのか。権藤さんは、名勝負や好ゲームを心待ちにするように答えた。

 「いやあ、それは分かるわけがない。勝ち負けの予想も難しいんだから」(笑)

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 権藤 博(ごんどう・ひろし) 1938年12月2日生まれ。佐賀県出身。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て61年 に中日に入団。1年目に69試合に登板して35勝19敗で最多勝、沢村賞に新人王。翌62年も61試合に登板し、30勝17敗で2年連続最多勝。連投が多く、「権藤、権藤、 雨、権藤」と言われた。肩などの故障のため、打力を生かす内野手を務めた時期もあり、69年に引退。投手での通算成績は実働5年で82勝60敗、防御率2.69。中日、近鉄、ダイエーの投手コーチを歴任し、98年に横浜の監督に就任。1年目で球団38年ぶりのリーグ制覇と日本一に導いた。2019年に野球殿堂入り。

(2022年6月29日掲載)

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