半導体など重要物資のサプライチェーン(供給網)強化を盛り込んだ経済安全保障推進法が5月に成立した。法制化の背景には、米国と中国の先端技術や経済活動をめぐる覇権争いがあり、同法が今後、米国陣営による中国経済の「デカップリング(切り離し)」の一端を担うとの見方が強まっている。
振り返れば十数年前にも、金融危機による世界経済の落ち込みを阻止する目的で、先進国と中国など新興国の切り離しが論じられたが、今や環境は激変。政治体制や安保を理由にした経済圏の住み分けが、改めて真剣に議論される時代となった。(時事通信経済部 編集委員・江田覚)
かつては金融危機への処方箋
米中間のデカップリングが話題に上ったのは今世紀に入って2回。最初の切り離し論は2008年9月のリーマン・ショック前後、世界経済の成長を維持するための処方箋として論じられた。
「世界金融危機を受けて(米国など)先進国経済が大きく停滞する一方、(中国など)新興国経済の堅調さが明らかになると、世界経済の『デカップリング化』を支持する見方が強まった」。内閣府が危機後の11年末にまとめた世界経済に関する報告では、最初の切り離し論をこのように紹介している。
現実には金融危機後、先進国の景気後退や米欧の投資資金引き揚げなどで新興国経済も打撃を受け、世界の成長下支えのためのデカップリングは成り立たなかった。欧州系投資銀行の幹部は「危機当初、中国やブラジル、ロシアなど新興国の経済力への期待は明らかに高まっていた」と当時の雰囲気を振り返る。
米中協力は限定的に
現在論じられている米中経済のデカップリングは政治体制と安全保障が前提となり、より複雑で企業に厳しい判断を迫る。端緒となったのは、中国の急激な経済成長や徹底した情報・機微技術の集約、トランプ前米政権下で本格化した米中貿易戦争などだ。多くの安保関係者らは「米中が協力できる範囲は限られている」と口をそろえ、戦略物資や先端技術分野を中心にした切り離しが不可欠との立場を取る。
米国が同盟国などに対し、中国への情報・技術漏えい阻止を強く要請する中、日本は19年に外資による戦略上重要な業種への審査を厳格化する形で外為法を改正した。先月成立した経済安全保障推進法はこれに連なる法整備と言える。
同法は「供給網の強化」「基幹インフラの事前審査」「軍事転用可能な技術特許の非公開」―など四つの柱で構成し、民間企業に安保上のリスクを意識した事業を促す。政府は国会などで「(リスクは)特定国を念頭に置いたものではない」と説明してきた。しかし、政府関係者は「コロナ禍でマスク、医療製品などの供給網の中国依存が明らかになったことが法整備の流れを加速させた」と指摘。同法施行により、電気や金融など基幹インフラのシステム導入に際し、中国製品が厳格な審査の対象になることも認めている。
日本勢、米中のはざまで泳げるか
経団連の十倉雅和会長が経済安保法成立後に「リスク感覚を研ぎ澄ませ、経済安全保障の一翼を担っていく」とコメントしたように、日本の経済界は地政学環境の激変に応じ、経済安保という概念を受け入れようとしている。法施行の段階では、企業側も中国などが想定される「安保上の懸念がある国」の供給網や製品、サービスをどのように管理し、外していくかを問われそうだ。
もっとも、グローバル化や情報伝達の高度化が進んだ今、米国でも「本当に中国経済からデカップリングできるのか」(フォーリン・ポリシー誌)などの議論が盛り上がっているのが実情だ。業種によって中国企業との距離感はまちまち。戦略的に重要な製品や素材のメーカーにとって中国での生産、ビジネスは格段に厳しくなっているが、金融機関などにとっては「中長期的に中国市場は魅力が大きく、撤退は考えられない」(米投資銀行幹部)という。
まして、日本にとって中国は最大の貿易相手国で、輸出入額は全体の4分の1近くに上る。あるインフラ企業の役員は「米中経済の部分的なデカップリングは進むものの、完全な分断はあり得ない。日本企業は米中のはざまでうまく泳ぐ能力も必要になる」と断言する。
「禁じられていなければやる」という米国企業などに比べ、日本企業は過剰に慎重になりグレーゾーンから撤退しかねないといった懸念も根強い。オウルズコンサルティンググループ(東京)の羽生田慶介代表は、経済安保法の運用では「政府が予見可能性をしっかりと示すことが大切になる」と語っている。
(2022年6月8日掲載)