悩みを抱え、孤立している人たちの相談を匿名で受け付ける「いのちの電話」。生きる意欲を失いかけた人を瀬戸際でつなぎ留める大切な役割は、無報酬の市民ボランティアによって支えられている。「消えてしまいたい」「自分は独りぼっち」ー。24時間絶え間なくかかってくる電話に、相談員はどんな思いで耳を傾け続けているのだろうか。「東京いのちの電話」のボランティアセンターを訪ねた。(時事ドットコム編集部 太田宇律)
「よく乗り越えたね」
「うん、うん・・・それはやりきれないですね」「あなた、よく乗り越えたね」ー。2022年6月初旬。窓の外からかすかに工事の音が聞こえるほかは静まりかえった室内に、穏やかな相づちの声が響いていた。「いのちの電話ボランテアセンター」と手書きされた古びた木の看板は、約50年前の発足時から変わっていない。
センターに詰めた相談員たちは悩みを聴くことに徹し、むやみにアドバイスをしたり、事情を詮索したりすることはない。「それではね」。60代の男性相談員は30分ほどの電話を終えると、保留状態にして受話器を置いた。切るとすぐに鳴りだすためで、少し心を落ち着けてから次の相談に応じるのだという。
「自分の価値観で相手を誘導しないように心掛けています」。そう話すこの男性は、相談員歴30年超のベテランだ。切迫した電話を受けたことは一度や二度ではなく、「ひじの内側の動脈を切った。手で押さえても血が噴き出して止まらない」と動転した様子で訴える相談者に、救急車を呼んでもらうよう必死で呼び掛けたこともある。通話はそのまま途切れ、男性は今も、この相談者のその後が気に掛かっている。
新人相談員「自分を救いたくて・・・」
22年春に認定されたばかりの相談員にも話を聞くことができた。50代女性は「人のためではなく、自分のことを救いたくて」相談員になったのだという。新聞の募集記事を読んで応募したのは19年秋。「死にたい」「生きている意味がない」と訴える10代の息子のことで悩む日々が続いていた。「どう声を掛ければよかったのか。研修を受けたら答えを出せるかもしれないと思ったんです」
相談員の研修は週1回、午後7時から9時半までで、通常1年半。半年ごとの3期に分かれており、第1期は自分の気持ちを言葉に出して伝える練習、第2期は主に研修生同士で悩みを打ち明け合う模擬電話相談を行い、第3期で具体的な電話対応を学ぶ。合宿費も含め、計約6万円の費用は研修生の負担だが、第3期まで終えても、適性がなければ相談員に認定されないこともある。女性を含め36人いた応募者のうち、最終的に相談員に認定されたのは半数ほどだったという。
女性にとって、研修は決して楽しいものではなかった。「仕事をしながらの参加で、『きょうは休もう』『もう続けられない』と何度も思った」と振り返る。だが、研修で自分の気持ちを深掘りしていくうちに「救われた」とも感じるようになった。「私たちはふだん、人間関係を壊さないために気持ちを口に出さないことがたくさんある。そういう気持ちも、伝えていいんだと気付いた」といい、日常生活でも感じたことを人に伝えられるようになったと実感している。
孤立の先にある「自死」
知人を相次いで自殺で亡くしたことをきっかけに相談員になった女性もいた。この女性が相談員の募集を知ったのは、親しかった「ママ友」の息子が大学入学直後に自殺し、女性も大きなショックを受けていた時。「このつらさを和らげる糸口がつかめるかもしれない」と思い、面接を受けた。22年春から活動を始めたばかりで切迫した電話を受けたことはないが、雑談相手がいない人や、経済的に困窮した人からの相談を受けていると、「こうした孤立の先に『自死』があるんだと感じる」という。
先輩相談員が、自殺をほのめかす相談者に目の前の道具を捨てるよう促す場面に居合わせたこともあり、「よくやめたね、それでいいんだよ」と声を掛ける姿に責任の重さを痛感した。相談を受ける中で学ぶことも多く、「今ならママ友の息子にどう声を掛ければよかったのか、分かる気がする」と話す。「家族を自殺で失う苦しみと言ったらない。生きていてほしい」。家庭の状況が許す限り、細く長く活動を続けるつもりだ。
英国発祥、少女の死契機に
いのちの電話は、1953年に英国で始まった市民活動がルーツとされる。14歳の少女が初潮を梅毒の症状と思い込んで命を絶った事件をきっかけに、市民による電話相談ボランティアが始まった。日本での発足は1971年。ドイツの宣教師ルツ・ヘットカンプさんの呼び掛けで東京・飯田橋に事務所が開かれ、2022年現在、ボランティアセンターは全国50カ所に広がった。
「東京いのちの電話」に登録している相談員は約230人。仕事をしている中高年が中心で、8割以上は女性だ。センターが無人にならないよう24時間シフトを組んで対応しているが、新型コロナウイルス禍の影響もあり、実際に相談業務に携わっているのは全体の7割程度にとどまる。
最盛期だった1988年前後は年間の相談数が3万件を超えていたが、相談員の数は92年の480人をピークに減少傾向にあり、対応できる電話の数も減った。2021年に受け付けることができたのは1万5594件。平均通話時間は29.6分だった。
近年は、自殺に関する報道の際にいのちの電話が紹介されるようになり、「初めて電話した」と話す相談者も増えているが、事務局長の郡山直さんは「どのくらい電話を取れていないのか分からない。掛かってきている件数は10倍ではきかないと思う」とため息をつく。
SNSで批判、無償の是非は
相談員たちの献身に支えられている「いのちの電話」だが、有名人の自殺報道などで注目が集まる一方、SNS上では「有償にすべきだ」「やりがい搾取ではないか」との批判も上がるようになった。
「東京いのちの電話」の運営には、研修費や施設賃料、通信費などで年間約3000万円かかり、大半は団体や個人からの寄付金で賄われている。東京都から約180万円の補助金も受給しているが、21年度は密集を避けるために研修場所の使用料などがかさみ、700万円近くの赤字。現状、相談員に手当を支給し、人手不足を解消する余裕はなさそうだ。
取材に応じてくれた相談員にSNSでの声について尋ねてみると、「お金をもらって相談を受けるのは違和感がある」「有償にしても辞める人は辞める。成り手不足と報酬は関係がない」といった意見が聞かれた。視覚に障害があるものの、聴力を生かして活動している人もいるといい、ある相談員は「表現が変かもしれないが、活動を続けられる人は特殊な事情や強烈な動機がある人が多い」と話した。
「いのちの電話は資格を持ったプロではなく、相談者と同じ市民が対等の立場で話を聞くところに意味がある」。研修担当も務めるベテラン相談員の女性はそう考えている。職業として問題の解決策を示してくれるカウンセラーや臨床心理士がいる一方で、いのちの電話では「自分の話を聞いて、一緒に悩んでくれる人がいる」と思ってもらえるようなアプローチを目指しているという。あくまでも「市民発」の善意のボランティアとして、無料、匿名、秘密厳守の電話相談は、きょうも各地で続けられている。
「私は救われた」相談者の声
最後に、いのちの電話に救われたと感じている人の声を紹介して記事を終えたい。現在大阪府に住む30代女性がSNSを通じて取材に応じ、当時の体験を教えてくれた。
2020年10月。女性は勤務先のパワハラをきっかけに発症したうつ病が悪化し、食事も入浴もできない生活が1カ月続いていた。起きていること自体が苦痛で、目が覚めたらすぐ睡眠薬を飲んで眠る日々。死んだ方がましだと思い詰めたある日の夜中、「ずっと人に気を使って生きてきたのだから、死ぬ前に他人の目を気にせず誰かと話したい」と電話を手に取った。
女性は思いをうまく言葉にできなかったが、50代くらいの女性相談員は「ゆっくりでいいよ」「気にしないで」と優しくなだめてくれた。薬の過剰摂取を繰り返していることを伝えると、「私はあなたが死んでしまったら悲しい。生きていてほしい」と懸命に訴える。女性が薬を捨てるまで1時間ほど通話を続け、最後は「駄目だと思ったら電話してね。つながりにくいかもしれないけど、一人で抱えないでね」と励ましてくれたという。
「もうちょっと頑張ってみよう」。無事に朝を迎え、今はカウンセリングを受けたり、自立支援施設に通ったりしながら就職活動を始めるまで回復した女性。SNS上では「電話で救われる人などいるのか」との声も聞かれるが、「いのちの電話の役割は『今、死にたい』という気持ちを先送りし、落ち着いた時に問題解決に向けて行動できるようにするというものだと思う」と振り返った。
女性から記者に届いた文章は、あの時の相談員に伝えたい言葉で結ばれている。
「寄り添って対応していただいてありがとうございました。真剣に私の話を聞いてくれて、一緒に悲しんだり怒ったりしてくれて、自分の気持ちが肯定されたように感じました。あの時の電話のおかげで死なずにすみました。まだ生活の立て直し中ではあるのですが、今できることを一歩一歩進めています。私はあの時に電話して良かったし、救われました。本当にありがとうございました」(2022年6月12日掲載)