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パリ五輪へ勢いづくフェンシング女子日本勢 W杯初優勝の江村美咲、返り咲きの宮脇花綸

10代からの主力、相次ぐ好成績

 今季のフェンシング日本代表は、国際大会で表彰台に立った回数が過去最多を更新するなど例年以上の活躍が目立っている。その中でも、大きな意味を持つ好成績を収めた女子選手にスポットを当てた。サーブルの江村美咲(23)=立飛ホールディングス=とフルーレの宮脇花綸(25)。江村は5月7日にチュニジアで開催されたワールドカップ(W杯)で初優勝した。宮脇はドイツで行われた4月30日のW杯で3位となり、4年ぶりに国際大会の表彰台へ。世代が近く10代から日本チームの主力を担ってきた2人は、目標とする2024年のパリ五輪へ勢いをつけた。(時事通信運動部 山下昭人)

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 「今回はいけるんじゃないか、といつも以上に思っている自分がいました」と江村。トーナメント前半の2試合を15―14で勝つなど接戦を制して決勝に進み、最後は世界ランキング9位のギリシャ選手を15―13で破った。「優勝を狙えるチャンスがいつ来るだろうかと。ここで取らなきゃっていう意識はすごく強かったかもしれません」。サーブルの日本勢がW杯で優勝したのは、男女を通じ初の快挙。「人が成し遂げていないことを自分がやりたいという気持ちはずっとありました。今まで頑張ってきてよかった」と声を弾ませた。

 馬上での剣術が起源とされるサーブルは、上半身への「突き」だけでなく剣身を使った「切り」も有効なのが、他の2種目(フルーレ、エペ)と大きく異なる。わずかに剣が触れた程度でも得点となり、試合展開は非常にスピーディー。瞬発力や身体能力の高さが求められる競技特性がある上、フルーレを集中強化してきた歴史がある日本では競技人口が少ないという事情もあり、日本勢の国際大会での成績は他の2種目に比べて後れを取っていた。

「短距離走」から「中距離走」に

 江村は18年1月のW杯で初の表彰台となる2位に入り、以降はエース格として活躍。頂点にはなかなか届かず、昨夏の東京五輪は16強どまりだったが、五輪後に日本チームのヘッドコーチに就いたフランス人のジェローム・グース氏の後押しを受けて最後の壁を破った。「五輪が終わって気持ちが切れて。国際大会で安定してトップ8に入っても、自分を信じ切れなかった。ジェロームコーチは『お前は世界一になれる』とずっと言ってくれていた」。先手を取ることが特に有利とされるサーブルで、あえて相手を引き出して好機をつくるパターンも習得。「これまでが短距離走だとしたら、今は中距離走。100%で動き続けるというよりは、ピスト(試合場)をいっぱいに使う練習をして。戦い方に固執する自分がいなくなりました」。プレーの幅を広げたことが初制覇に結び付いた。

 東京五輪後は燃え尽き症候群のようになった時期もあったが、「オフの時はオフにしないとオンに入れないんだと、やっと気づきました」と語る。伸び伸びとプレーさせてくれる新コーチの下、今季は同僚の高嶋理紗(オリエンタル酵母工業)や小林かなえ(三重ク)も国際大会で初めて表彰台に立ち、団体では準優勝2度。「心に余裕があって、誰かが失敗しても他の人が補える。結果も付いてきて、今はみんなにやる気がみなぎっている」とチームの雰囲気を代弁する。

世界ランキング3位に上昇

 1988年ソウル五輪フルーレ代表の宏二さんを父に持ち、母の孝枝さんも世界選手権の出場経験があるフェンシング一家で、小学3年時にフルーレを始めた。アニメ作品「ウサビッチ」のジグソーパズルの景品にひかれて出場した大会で優勝してからはサーブルに絞り、15歳でアジア選手権2位、世界選手権代表入りと早くから頭角を現した。宏二さんは「私の頃は世界選手権に出ることが目標。娘は世界に出ても勝てるという気持ちが身に着いている。そこが私と違う。実績が自信につながっている」と頼もしげに話す。

 中大を卒業した昨春にプロ選手として活動することを表明し、立飛ホールディングスとパリ五輪までの所属契約を結んだ。「プレッシャーになる応援の仕方ではなくて、私の活動を支えてくれているというメッセージがすごく強い」と競技環境に感謝しながら、「パリの金メダルにふさわしい選手に、近づいてきているんじゃないかと思えるようになってきました」。5月の活躍で世界ランキングを3位まで上昇。自信を深めて7月の世界選手権に向かう。

堅守と巧みな駆け引き

 一時は女子フルーレの日本チームで先頭を走っていたものの、近年は思うような結果が残せていなかった宮脇。国際大会の表彰台は、18年5月に中国・上海で行われたグランプリで準優勝して以来4年ぶりで、苦しい時期を乗り越えて復活した姿を印象づけた。「いい準備をしていたからこそ、目の前にあったチャンスをつかむことができたんじゃないかなと思います。まだまだ世界で戦えるんだなって、すごく自信になりました」。準々決勝では世界ランキング4位の陳情縁(中国)に快勝。準決勝は東京五輪金メダルのリー・キーファー(米国)に屈したが、13―15で惜敗した試合には手応えが残った。

 宮脇は江村と同様、10代から世界大会で活躍してきた。武器は堅守と駆け引きの巧みさ。宮脇が5歳からフェンシングを始めたスクールで指導していた日本代表の青木雄介監督は「フェンシングは体格ではない、というプレーをする選手」と評す。東京・慶応女高3年だった14年に世界ジュニア選手権で銅メダル、ユース五輪は銀メダル。東京五輪に向けた期待の女子アスリートとして雑誌「Number」の表紙を飾ったこともあった。「まさか表紙になるとは。雑誌売れるのかなって、すごく心配になりました」。シニアの代表としても18年ジャカルタ・アジア大会の団体金メダルに貢献するなど、若いチームの出世頭的な存在だった。

失意を乗り越えて

 歯車がかみ合わなくなったのは、東京五輪の代表争いが本格化してきた頃。当時の心境を振り返り、「試合をすることに対して、負けるのが怖いなあと思っていたのが一番良くなかった」と言う。「勝ちたいから試合に出る」という精神状態になれず、思い切りのいいプレーが影を潜め、好成績を残せないことがさらに焦りを生んだ。

 五輪代表の座を逃し、「ちょっと駄目なのかな」と考えた。気分が沈む時期があり、競技から離れることも頭をよぎったという。だが、地元での五輪に向かう日本チームの同僚と日々練習を重ねる中で、「やっぱりフェンシングをやりたい、できるんじゃないかなって思うところがありました」。東京五輪を迎える前から、次回のパリ五輪を見据えてプレースタイルを改良。接近戦で相手の攻撃を誘って得点につなげるプレーを磨き、剣を突き出して飛び込む得意の技「フレッシュ」をより瞬間的に繰り出せるようにも取り組んだ。

表彰台が3度目の転機になるか

 これまでの競技生活で転機が二つあったと宮脇は言う。一つは中学生の時に日本チームのイタリア人コーチに誘われて世界大会に出場し、挑戦意欲をかき立てられたこと。もう一つは、高校1年時の冬に自宅を訪れたフェンシング五輪メダリストの太田雄貴さんに、五輪への道筋を明確に示されたこと。失意を経た先の待望の表彰台返り咲きは、3度目の転機になるかもしれない。

 東京五輪を見て「オリンピックはやっぱり最高峰の舞台。フランスはフェンシングが最も盛んな国。2年後に立ちたいという思いはすごく強くなりました」と決意を語る。現在は新たな所属先を探しながら競技を続けている。「まだ何も成し遂げていないというのが一番大きい。まだ何もしていないし、できることがたくさんある。今の一番長い目標は、パリでメダルを取ることです」

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 江村 美咲(えむら・みさき) 1998年11月20日生まれの23歳。大分県出身。小学3年でフルーレを始め、中学生からサーブルに転向。2014年世界カデ選手権で3位に入り、15歳で世界選手権に出場。W杯では18年に初の表彰台となる2位。中大卒業後の昨年4月、プロ選手として活動することを表明し、東京五輪は13位だった。父宏二さんはソウル五輪フルーレ代表、母孝枝さんもエペで世界選手権に出場した経験を持つ。弟の凌平(中大)もサーブルの日本代表として活躍。立飛ホールディングス所属。身長170センチ。

 宮脇 花綸(みやわき・かりん) 1997年2月4日生まれの25歳。東京都出身。5歳でフェンシングを始め、10代から各年代の国際大会で表彰台に立つ。2014年の世界ジュニア選手権で銅メダル、ユース五輪でも銀メダル。シニアでは18年のグランプリで2位に入り、同年のアジア大会団体で日本チーム初の金メダルを獲得。父の信介さんは21年まで日本フェンシング協会専務理事を務め、太田雄貴前会長とともに協会改革の中心となった。現在は所属先を募集中。身長161センチ。

(2022年5月31日掲載)

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