佐々木毅元東大学長に聞く(下)
日本政治が進むべき道とは何か。佐々木毅(ささき・たけし)元東大学長は「民間政治臨調」「21世紀臨調」、そして近く始動する「令和臨調」まで約30年間、学者の立場から政治改革に深く関わってきた。当時掲げた政権交代可能な二大政党制や政治主導の確立といったテーマは現実政治にもまれ、当初の理想を具現化したとは言い難い。果たして佐々木氏はどう総括するのか。(時事通信政治部 纐纈啓太)
国会の政策論議「最低レベル」
「臨調」として名高いのは、1980年代に行財政改革を主導した第2次臨時行政調査会、通称「土光臨調」だろう。慢性的な赤字にのたうち回った国鉄をはじめとする3公社の民営化に道筋を付け、その質素な生活ぶりから「メザシの土光」の愛称で親しまれた土光敏夫会長のキャラクターも相まって、臨調という名称が帯びる改革・刷新のイメージは定着した。佐々木氏が共同代表を務める令和臨調も土光臨調からの系譜を意識する。
リクルート事件をはじめとする政治スキャンダルが相次いだ80年代末期以降、政治改革への機運がにわかに高まったものの、海部内閣が提出した政治改革3法案は91年に廃案に追い込まれた。打開を期して亀井正夫・元住友電工社長らが中心になって92年に発足したのが政治改革推進協議会、通称「民間政治臨調」だ。
佐々木氏はその準備作業から携わった。「政治改革」の掛け声は、衆院の中選挙区制に代わる選挙制度を目指すことと同義となり、現在の衆院小選挙区比例代表並立制へとつながった。その間、非自民連立政権発足による「55年体制」崩壊など日本政治は大きく揺れた。
この30年を振り返るとすれば、少子高齢化など社会保障、過疎、環境破壊など顕在化してきた諸課題に「成果を挙げた記憶が国民にはない」と佐々木氏は言い切る。
第2次安倍政権以降、10年近くたつ自公政権への視線は厳しい。「アベノミクスを始め、政策がめざましい成功を収めたという話はついぞ耳にせず、昨今に至っては経済にプラスと言われてきた円安も災いだと(言われている)」。「国力の低下は深刻になってきた。消極的安定を政治が見せつつ、こうも後へ後へと課題が積み増している」と警鐘を鳴らす。安倍晋三元首相には「結局、今になってみると、何がレガシーなのか。なかなか厳しいものがあるんじゃないか」。返す刀で岸田文雄首相を「『新しい資本主義』だと言うが、何を意味するのか寡聞にしてよく存じ上げない。誰かに吹き込まれたのかどうか知らないが」とばっさり。与野党の政策論争はコロナ禍で「バラマキ合戦」の様相を呈していることについて「政治家は事あるごとに給付金をまくことしかもはや知らない。政策論議は最低のレベルまで落ち込んだんじゃないか」と表情を雲らせる。
民主党政権「挫折」に言葉少なく
「民間政治臨調」はその後、「21世紀臨調」へと衣替えし、2000年代前半にかけて、首相中心の内閣主導体制、政権選択を懸けたマニフェスト(政権公約)に基づく総選挙実施を提唱。この間、佐々木氏は小泉政権下での「首相公選制を考える懇談会」座長を務めた。
これらの取り組みが目指したものとは何だったのか。13年に出版された佐々木氏などによる編著「平成デモクラシー 政治改革25年の歴史」は、端的に「一貫して追い求めてきたものは、国民に信頼されうる政権交代可能な政党政治と責任ある政治主導体制の構築であった」としていた。
いま振り返れば、少なくとも前者は失敗に終わったと言わざるを得ないだろう。09年に誕生した旧民主党政権はマニフェストの「欺瞞(ぎまん)」と党内対立により約3年で崩壊。首相権限の強化も、与党内や官庁での議論の萎縮を招いているとの批判が絶えない。
この30年間のありようは、政治家の責任に帰せられるのか、それとも佐々木氏ら「臨調」の提言が当を得ていなかったのか。佐々木氏にそう尋ねてみた。
「まあ。結果は見通したわけではないし、目指すことは目指したかもしれないが、実現できる保証がある話でもなかったと思います」。論旨明快だった口調は、にわかにトーンダウンした。「結果について問われても、答える用意があるとは言えない。ただ、何の変化も、何の成果も生み出さないわけではなかったということは、事実として記憶にとどめたいと思っています」。
政治学者の意地「このまま終われない」
「問題は課題を解決できるかどうか。政権交代しなければ、夜も日も明けないということではないわけで」。そう佐々木氏が語るように、今回の令和臨調では、政党や国会改革と並ぶテーマとして、財政・社会保障や人口減少・少子高齢化といった課題を取り上げる。
従来の民間臨調との違いを佐々木氏は「これまでは『政界内政治改革』みたいなところがあったが、国民もツケを払わざるを得ないところに来ているから、財政・社会保障の問題や国会改革の問題、地方の問題も絡めて、展開しようと。何かペーパー作りに100%傾かないよう、議論の場をつくり、絞り込んで、決断を促すような活動をしたい。だんだんやっているうちに多くの人が関心を向けてくれるようになれば大変結構だというのが基本です」。
1時間超のインタビューで気になったのは、佐々木氏がしきりに自身の「残り時間」に言及したことだ。「寿命もそんなに長くないから、3年をめどにできるだけやってみようと」「私の頭の中も少しは活性化して。死ぬ間際はそうなるということかなと思いつつ」。ここ数年来、体調は決して万全ではないという。
「ちょっと語弊があるけれど、この30年で組織・個人の熱気がなくなってきた。平成のどこかで変わったね。なんか、自己満足の世界に安住してしまう」と言うように、かつて「改革」を支持してくれた世論の熱気と現在のギャップも感じてもいる。「一事が万事、今度の臨調は幕引きかもしれないな。われわれなりに熱気が出てくるようにしたいけど、点火装置が作動しないかもしれない」と弱気ものぞかせる。
19年には文化勲章を受章。体調すぐれぬ中、みたび臨調に乗り出したのはなぜか。「やっぱり、1回くらいは言いたいことを言ってみたい。これは政治学者に対する誘惑みたいなものだね。これで良かったのか、悪かったのか。政治の世界は一度コミットすると、そのコミットを引っ込めることはできないところがある。そんなことを(政治哲学者の)ハンナ・アーレントは言っていたなと」と自嘲気味に振り返りつつ、こうも言う。「しかしこのまま終わるのはあまりに忍びない。このまま行ったら日本は厳しい立場になるんじゃないか。そういう意味でも、最後の一戦だな」。
(2022年5月20日掲載)