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49年前の完全試合投手・八木沢荘六さんが佐々木朗希にエール「何度でも達成してほしい」

ロッテ初の完全試合

 半世紀に近い歳月をまたいだ「後輩」の偉業を喜んだ。1973年10月に、プロ野球ロッテの投手として完全試合を達成した八木沢荘六さん(77)。今月10日、同じ大記録をロッテの佐々木朗希投手(20)が千葉・ZOZOマリンスタジアムでのオリックス戦で成し遂げた。史上16人目、球団では八木沢さん以来49年ぶり2人目。八木沢さんは自宅で、佐々木朗の快投を伝えるテレビ中継に釘付けになっていた。最後の打者、杉本裕太郎選手を空振り三振に仕留めると、「いやあ、すごい投手が出てきた。素晴らしいのひと言だね」とうなったという。

 現役引退後はロッテの監督や阪神の投手コーチなどを歴任した八木沢さん。ユニホームを脱いだ今も、気になる投手の登板はテレビでチェックしている。その一人、佐々木朗を「球界のスーパーマン」と高く評価。「これから何度でも達成してほしい」と期待を寄せた。(時事通信運動部 石川悟)

◇ ◇ ◇

 73年10月10日。仙台市の宮城球場(現楽天生命パーク)で太平洋とのダブルヘッダーが組まれていた。この年の八木沢投手は、主にリリーフとして前日まで52試合に登板して6勝1敗。最高勝率のタイトル(現在のルールは13勝以上)に手が届く位置にいた。規定投球回到達へのイニングを稼ぐため、第2試合で先発する予定だった。

 第1試合の前。ウオーミングアップを始めた八木沢投手に、植村義信投手コーチが声をかけた。「第1試合の先発を務めてほしい」。本来の先発予定だった村田兆治投手が、首を痛めたため投げられなくなったという。

偶然がもたらしたパーフェクト

 当時のプロ野球は、先発投手が登板の数日後に救援することも珍しくなかった。八木沢投手も救援が多く、先発が崩れるなどした試合で急きょ登板する際の調整はお手のものだった。第2試合の先発だった八木沢投手にとっては、登板が数時間早まるだけのこと。植村コーチの申し出を快諾した。

 八木沢投手はリズムよく、丁寧にコーナーを突く投球を続けた。「試合前のブルペンから調子は良かった」。太平洋打線を手玉に取り、五回までスイスイと進んだ。およそ50年後、佐々木朗が160キロ台の快速球を軸にバッタバッタと三振を奪った投球とは対照的だった。

「金田監督不在」も追い風に

 偶然はさらに重なった。もともと、勝率のタイトル獲得条件クリアに向けた足がかりとする登板。ベンチも完投までは望んでいなかったため、ある程度のイニングを投げたら交代するはずだった。しかし、ベンチに金田正一監督は不在。歯痛を理由に、その遠征には同行していなかった。「(金田監督なら)もういいだろう、と交代させられていたと思う」。その日に指揮を執った高木公男2軍監督は、走者を一人も許していない投手を降ろそうとはしない。八木沢投手も「いくしかない」と腹をくくった。

 六回も3人でぴしゃりと抑えると、さすがに完全試合が頭をよぎったという。七回に先頭打者、福富邦夫選手の鋭いゴロを二塁手の山崎裕之選手が好守備でさばいた。このファインプレーで命拾いをすると、順調にアウトを重ねて九回を迎えた。

冷静さ装い、心臓バクバク

 八木沢投手はマウンド上で冷静さを装ったが、内心は違った。「心臓がバクバクだった。最後のバッターには、一球一球を投げる時間がものすごく長く感じた」。27人目の打者、代打ロジャー・レポーズ選手の打球が左翼手、ジョージ・アルトマン選手のグラブに収まった瞬間、史上13人目(当時)の快挙が達成された。

 「調子が良くて、ストライクを取っていけた。相手が、追い込まれる前にどんどん打ってきてくれたこともよかった。ローテーション投手ではない自分が、たまたま(先発で)投げてできた記録」

「また完全試合をやっちゃうかな」

 大記録達成の試合で、奪三振は6個。佐々木朗は、パーフェクトの試合でプロ野球記録に並ぶ19個の三振を奪った。今、八木沢さんは目を細めて絶賛の言葉を並べる。「160キロ台の球をあんなに投げて、奪三振も19なんて。何てすごいことなんだ、と思う」。佐々木朗にさらなる期待を抱きながら、自身の経験や指導で培った知識から、こう語った。「ピッチングというのは、やみくもに投げると疲れるだけ。9回を投げるピッチャーは抜くところは抜く、締めるところは締める、という投球術を覚えてほしい。そうすると、また完全試合をやっちゃうかな」

 プロ野球史上、完全試合が2度の投手はいない。佐々木朗は次の登板となった4月17日も、8回まで一人の走者も許さずに降板。3試合にまたがり52人連続アウトの「無双状態」だ。八木沢さんは、世代が近く、パーフェクトを含む無安打無得点試合を3度達成した元広島の外木場義郎さん(76)を例に挙げ、「3度やった外木場でも、完全試合は1度だけ。佐々木君はプロに入ってまだ3年目。2度と言わず、何度でも達成してほしい」と熱いエールを送った。

◇ ◇ ◇

 八木沢 荘六(やぎさわ・そうろく) 栃木県出身で、作新学院高のエースとして1962年の選抜大会で優勝。同年夏の全国選手権大会では赤痢のため登板はなかったが、同校が史上初の甲子園春夏連覇を果たした。早大から第2次ドラフト1位で67年に東京(現ロッテ)入団。69年から1軍に定着して先発、中継ぎで活躍。完全試合を達成した73年には7勝1敗で最高勝率のタイトルを獲得した。79年に現役を引退し、92年から94年途中までロッテの監督を務めた。西武、巨人、阪神や社会人、独立リーグなどでもコーチを歴任。現在は全国野球振興会(プロ野球OBクラブ)の理事長を務める。現役通算で394試合に登板して71勝66敗8セーブ、防御率3.32。同学年で、同じ年のドラフト1位で中大から東映に入団した高橋善正投手も71年に完全試合を達成した。

(2022年4月22日掲載)

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