パオロ・マッツァリーノ
春が訪れ、人々が浮かれる。そんな季節の風物が、ここ数年は新型コロナのせいで見られなくなりました。今年はさらに戦争の暗い影が世界を覆い、春の気分に水を差します。
ウクライナでの惨状に胸を痛めた人々がそこかしこで訴える戦争反対の声が高まると、平和のなかで忘れかけてた「戦争の悲惨さ」というおなじみのフレーズが聞こえてくるようになりました。
ですが「戦争の悲惨さ」って言葉、どこかひっかかりませんか。私はずっと、その日本語表現にもやもやした違和感をおぼえてきました。
ネットには、文章を最後まで読まずに誤読するかたが多いので先に念を押しておきます。戦争が悲惨ではないと申し上げているのではありません。私は非暴力主義者なので、すべての戦争に反対します。でも「戦争の悲惨さ」という言葉は戦争の本質を、紋切り型の枠に押し込めてしまってる気がしてならないのです。
「セクハラの悲惨さ」とはいいませんよね。セクハラはたいしたことではないからだ? いや、セクハラにだって表ざたにならないだけで、悲惨な事例はあるはずですよ。
では「殺人の悲惨さ」はどうです? 殺人は間違いなく、被害者やその遺族にとっては悲惨極まりない出来事です。少なくともセクハラよりは確実に。なのに殺人の悲惨さというフレーズもあまり聞きません。不思議ですね。
過去の新聞・雑誌記事を検索して「悲惨さ」の使われかたを調べてみると、やはり圧倒的に多いのは「戦争の悲惨さ」。それに次ぐ「原爆の悲惨さ」で大多数を占めてます。「悲惨さ」は戦争専用の枕詞や季語のような扱いなのです。
意外な事実も分かりました。「戦争の悲惨さ」が語られるようになったのは1970年代からだったのです。もちろん50・60年代にも戦争反対の声はたくさんありました。デモなども盛んに行われてました。だけど戦争の悲惨さというフレーズは、ほとんど使われてないんです。
60年代までの記事見出しで悲惨とされていたのは、部落差別、交通事故、公害、貧困など。戦前ですと昭和2年の『読売新聞』に、捕らえた泥棒の家を家宅捜索した青山署員たちが、妻子の生活の悲惨さに同情し、米2升を恵んでやったという人情記事があります。
戦争を悲惨と結びつけてる例はごくわずかしかありません。理由としてひとつ考えられるのは、60年代までは戦争の悲惨さがまだ記憶に生々しく残っていて、思い出したくない人が多かった可能性。
72年11月5日付の『読売新聞』投書欄。戦争を知らず無関心な若者が増えたことを危惧し、戦争の悲惨さを伝える必要があると42歳主婦が訴えます。いまでは定番の主張ですが、いわれ始めたのはこのころから。
その翌週に58歳主婦の反論が掲載されてます。戦争の悲惨さは体験した者にしかわからない。いまの若者に戦争の悲惨さを伝えるのはムリだから、教えずにそっとしておくべきである。
ようやく戦争の悲惨さを語れる人が増えた一方で、向きあうことをまだ恐れ、忘れるべきだと考える人もいた時代。それが70年代です。
もうひとつ、忘れられがちな歴史の事実があります。日本人が戦争を悲惨だと考えるようになったのは、空襲などの被害を受けるようになった太平洋戦争末期からでした。ではそれ以前は何だったのか。戦前から開戦直後までの日本人にとって、戦争は「熱狂」「祝祭」だったのです。
アニメ映画『火垂るの墓』は、戦争末期の悲惨さを描いた傑作としてゆるぎない評価を得ています。しかし、ああいう映画は真の反戦たりえないし、反戦に有効でもない、とクギを刺す人がいました。それは誰あろう、監督の高畑勲さんです。
2004年11月、憲法九条改正に反対する「映画人九条の会」結成集会での講演で、高畑さんは「戦争の悲惨さ」に疑問を投げかけ、戦争と人間の本質をえぐります。
最初から悲惨な戦争などない。太平洋戦争を始めた頃、大多数の人は戦争を心から支持していた。反対できる雰囲気ではなかったというのはいいわけで、実際にはオリンピックの応援をするように戦争を応援し、勝利に感動していたのだ。知性や理性は感動の前では無力である。
要旨をギュッとまとめるとこんな感じでしょうか。戦争を止めるには悲惨さではなく、開戦にいたる熱狂や感動をこそ警戒すべきとの主張に私も強く共感します。
日本人の間に戦争の熱狂が広まったのは、たぶん日露戦争からです。明治38年の年明け早々、旅順要塞が陥落しました。いわゆる旅順攻囲戦で日本軍が勝利したことが伝えられると、日本中がお祭り騒ぎとなりました。
当時の新聞を読むと広告の浮かれっぷりに驚きます。1月5日付の新聞には松屋・白木屋・三越といった有名呉服店が祝勝の大売り出しや記念品贈呈の広告を出してます。ビヤホールは祝勝記念で生ビール半額フェア開催。
旅順攻囲戦では日本軍にも数万人の死傷者が出ました。なのに誰もその悲惨さに目を向けようとはしませんでした。当時の日本に「戦争の悲惨さ」を唱える者はいなかったし、たとえ唱えたとしても、熱狂の声にかき消されてしまったことでしょう。
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パオロ・マッツァリーノ 2004年に社会学の在り方を痛烈に批判した「反社会学講座」(イースト・プレス)が評判となり、その後も「偽善のすすめ」(河出書房新社)、「思考の憑きもの」(二見書房)など常識に異議申し立てする姿勢が人気を集めている。公式ホームページによると、イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。イタリアン大学日本文化研究科卒としているが、大学自体の存在が未確認。
(2022年4月28日掲載)