合同練習で心地よい汗
知的障害のある球児たちが、好きな野球に伸び伸びと取り組める土壌をつくりたい―。昨年3月に発足し、元プロ野球選手らが参画している「甲子園夢プロジェクト」の取り組みだ。新型コロナウイルスの影響を受けながらも、高校の硬式野球部との合同練習や中学生のチームとの練習試合などを通じ、着実にステップを踏んでいる。(時事通信運動部 岩尾哲大)
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このプロジェクトは、特別支援学校などに通う生徒が、全日制高校の生徒と同じように夏の全国選手権地方大会などに出場できる道を探るのが大きな目的。2016年に鹿児島県の特別支援学校が他校との連合チームで大会に出場した例があるが、全国的な広がりには至っていない。プロジェクトの発起人は、東京都立青鳥特別支援学校教諭の久保田浩司さん(56)。日体大野球部OBの久保田さんは「危険などの理由で、知的障害の子に硬式野球はできないという先入観がある。やらないための言い訳になっている。どうしたらできるかというのを多くの人に伝えて、理解者を増やしたい」と意図を説明する。
プロ野球ロッテで救援投手として活躍した荻野忠寛さん(39)をはじめ、大学、社会人の第一線でプレーした元選手が活動に賛同し、指導陣に名を連ねている。07年のロッテ入団から3年続けて50試合以上に登板し、2年目には30セーブをマークするなどの実績を持つ荻野さん。「活動は1カ月に1回ぐらいなので、その時にうまくするというより、もっとうまくなりたい、練習したいと思ってもらえるきっかけを与えようとしている。明らかにこの1年間で、比べものにならないくらい、みんなうまくなっている。これは本人たちの努力」と話す。参加した生徒はこれまで25人に達した。
慶応高と合同練習
発足からちょうど1年となった3月6日。神奈川県の名門、慶応高との合同練習会が行われた。約3時間。プロジェクトの生徒と慶応高の部員が一緒になって、準備運動に始まり、トス打撃やノック、フリー打撃などに励んだ。
慶応高の選手が「硬式球を打つのは初めて?」と問いかけたり、投手はフォークボールの握り方を教えたりと、交流する場面がみられた。ノックでは実際の練習時と同様に活気のある掛け声が飛び交い、熱のこもったプレーが続いた。宮原慶太郎主将は「一緒にキャッチボールやノックを楽しめるのが野球。自分が思っている以上に、野球はみんなでできるスポーツなんだなと思った」。慶応高の選手たちにとっても、学びの多い時間となった。
「野球がしたい」
プロジェクトの生徒は、障害の度合いや習熟度にもよるが、慶応高のレギュラー選手と遜色ないプレーをする選手もいる。その一人が、この春、埼玉県内の中学を卒業した中沢佳都さん。小学4年生から野球を始め、ノックでのグラブさばきや送球は軽やか。投手の素質もあり、慶応高のブルペンでも投げ込むと、捕手の「ナイスボール!」という声が響いた。レギュラーとの真剣勝負の場も。周りの選手に「うまい」と声を掛けられ「うれしかった。高校でもやれそうかなと思う」。心地よさそうに汗を拭った。
中沢さんは4月、普通科の高校に進学した。特別支援学校を進路とする選択肢もあったという。普通科に進む決断は容易ではなかったが、悩み抜いた末に決めた要因は「野球がしたかったから」だった。
高校は自宅から片道2時間はかかる距離のため、寮に入った。現状では、特別支援学校に入学して高校野球の試合に出られる可能性は低い。父の一成さんは「これまでは(野球を)できるのが当たり前の生活だった。本人が好きなのに選択肢がないのはかわいそうだと思った」と説明する。
チャンスを与えるべき
障害があっても、野球への熱意があり、技術レベルも普通科の部員と同等、もしくはそれ以上の生徒もいる。久保田さんは、彼らの門戸を閉ざすような現状に疑問を抱き続けてきた。ある生徒は、特別支援学校の担任に野球部の創部を働きかけるようになったという。創部が実現して、都道府県高校野球連盟への加盟が認められれば、部員の少ない高校との連合チームで大会に出場するという望みも出てくる。
「野球をやりたいと思っている子にチャンスを与えてあげるべきだ。その権利だけは行使させてあげたい」。久保田さんは、そう強調する。プロジェクト発足から1年。地道な活動の理解は少しずつ、着実に広まっている。
(2022年4月12日掲載)