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あのビンタ、被害者は誰?「ユニークフェイス当事者」の見方

2022年04月14日10時00分

 妻をやゆするようなことを言うなー、バシン! 米アカデミー賞授賞式での俳優の平手打ちは日本でも大きく報じられ、物議をかもしている。「侮辱された家族を毅然(きぜん)と守った」「いかなる理由でも手を上げては駄目」。ジョーク文化の違いからか、日米での受け止めには違いもあるようだが、この議論、何かを忘れているような。脱毛症を患い、髪形をやゆされた妻の視点だ。顔に大きなあざがあり、「容姿いじり」の痛みを知る「ユニークフェイス当事者」石井政之氏に意見を求めた。

 【特集】教えていただきました

「ユニークフェイス当事者」石井政之氏

 米アカデミー賞主催団体の映画芸術科学アカデミーは、俳優ウィル・スミス氏に対し、授賞式への10年間の「出入り禁止」を決定した。前代未聞の平手打ちの処分だ。スミス氏はスタンダップコメディアンのクリス・ロック氏を平手打ちし、席に戻った後に放送禁止用語を使って罵倒。アカデミー側から退席を求められたが、それを拒否した。世界中が注目するアカデミー賞授賞式だ。その瞬間の動画を世界中の人々が視聴していた。

 他人よりも変わった容姿、外見になってしまった人を、私は「ユニークフェイス当事者」と呼んで約30年間、文章を書いてきた。私自身、生まれつき顔面の右側に大きな赤あざ(単純性血管腫)がある。物心ついた時から、通りすがりの人に凝視され、驚かれ、時に嘲笑、侮辱された経験がある。50代半ばになった今も、初対面で人と会う時、その人が私の外見を見てどんな態度を取るのか、注意深く観察するのが癖になっている。

 「人は顔じゃない、心だよ」「ありのままを受け入れるのが大事」というきれい事を言われたことは数え切れない。しかし、そのようなきれいな言葉で蔑視や嘲笑が消えないことは、実体験で学んだ。

 そういうユニークフェイス当事者の立場からスミス氏の一件を振り返ってみたいと思う。

◇ショービジネスのハプニング

 スタンダップコメディアンであるロック氏がスミス氏の妻で女優のジェイダ・ピンケット・スミスさんの髪形をからかった。そのからかいに激高したスミス氏がロック氏を平手打ちした。つまり、からかわれたのはジェイダさんだ。スミス氏は家族を侮辱されたから暴力を振るったことになる。「言葉の暴力に本当の暴力で応じた」と解釈できる。

 スタンダップコメディとは、コメディアンがマイクの前に1人で立ち、政治や差別などの際どいネタを笑いにする、欧米で人気の話芸だ。日本にはない、独特の笑いの文化だ。その意味で、あの騒動はショービジネスの中で起きたハプニングだった。スミス氏にはジョークが通じなかったのだ。

 容姿のからかいは、基本的にブラックジョークだ。明るい笑いではない。スミス氏はスタンダップコメディアンの役回りを熟知している。それでも激高してしまった。その激高には理解できる面もあるが、ビンタはすべきではなかった。なぜか。彼は著名人であり、成功者だ。多くの大衆の見本となるべきスターだからだ。

 本当に怒りを感じていたのであれば、ショーが終わった後に、控室でビンタをするべきだろうか。いや、それも駄目だろう。暴力は暴力だし、スターに匿名性はない。世界中がその外見を知っている。その動向を芸能ジャーナリズムが監視している。著名性をもったスミス氏にとって、プライバシーはないに等しい。

 プライバシーがない状態。それはユニークフェイス当事者にも通じる。目立つ外見がある私もまた、ユニークフェイス性によって雑踏の中に紛れ込む自由はないのだ。

「もし」で考える

 スミス氏の件に「もし」が許されるならば、私は次のような「もし」を想像する。

 もし、脱毛症の当事者が未成年の子どもで、その子どもが大勢の人が見ている公衆の面前でからかわれた時、その子どもの親はからかった相手を平手打ちしてよいのかー。

 スミス氏の一件を動画で視聴した人たちは「自分ならどうしたのか」と想像し、「自分なら平手打ちをしたのか、しなかったのか」と自問したに違いない。からかった人間も、からかわれた人間も、ショービジネスの人間ではなく、普通の人。そんな状況ならば、という条件付きだが、「からかった相手を平手打ちする親の気持ちは理解できる」。

 私の個人的な経験では、公衆の面前で侮辱された経験はなかった。人権意識がかなり浸透している社会で「証拠が残る状況で侮辱する」という愚行をする人間は非常に少ない。一番多いのが、通りすがりの人からの侮辱と嘲笑。または、学校のような閉鎖空間で、教師の目が行き届かない場所を選んだ「いじめ」「いじり」だ。

 私は何度も経験したが、暴力で応じたことはない。からかいに反応して暴力をふるったら私が犯罪者になってしまうし、侮辱した人間は、証拠がない、目撃者がいないと分かれば「ひどいことは何も言っていない。突然殴ってきた」と主張することは明らかだったからだ。

 「もし」という仮定の話から現実に戻ろう。スミス氏の一件で、外見をネタにしたジョークで最も傷ついたのは脱毛症の当事者のジェイダさんだ。

 ジェイダさん自身も俳優として活躍してきた表現者だ。髪形をネタにしたジョークで傷つけられたのであれば、その当事者として、スタンダップコメディアンに抗議する知性と能力がある。夫の力を借りる必要はないのだ。ジェイダさんを弱者としてかばうべきとは、私は考えない。

 ロック氏、スミス氏、ジェイダさん。みなショービジネスの成功者であり、セレブだ。表現する言語能力、演技力は卓越している。そう考えると、スミス氏は先走ってしまった。理性的に考えるよりも憤怒の感情が彼自身を圧倒し、行動に突き動かされたと感じた。妻をからかわれた瞬間、冷静に対応することができなかったのだ。

◇加害者・被害者・傍観者

 普通の人はビンタの件をショービジネスの成功者の中の騒動としてとらえていない。あのビンタによって、自分自身の容姿のコンプレックスを思い出し、それをからかわれた経験がよみがえった。だから世界中を駆け巡るニュースになったのだ。

 全ての人間に容姿をからかった「加害者経験」がある。同時に、容姿をからかわれた「被害者経験」がある。そして、身近な人間が容姿でからかわれた時、手をこまねき何もできなかった自分を責めた経験があるのだ。「傍観者経験」とでも言うべきか。

 脱毛症を「あるがまま」として認め、差別しないでほしいという意見は、完全に正しいと思う。しかしながら、その普通ではない容姿を見て、何かを言わずにはいられない、笑いものにしたい、その不謹慎な発言を聞いて、共感して笑う、という共犯関係を楽しみたいと思ってしまう心の動き、それもまた人間の率直な感情なのだ。

 「あるがまま」を認める時、私たちは、この二律背反に直面する。そう、きれい事では差別を隠すことはできても、差別はなくならないのだ。差別する感情を「あるがまま」として肯定する人間は存在しているのだから。あなたの周りにもいるでしょう?

◇語り手によって変化する万華鏡

 私たちは容姿をからかった加害者経験を持っている。同時に、からかわれた被害者経験を持っている。さらに、からかわれ、傷つけられた友人と家族を守れなかったという傍観者経験も持っている。

 ウィル・スミス氏のビンタは、その語り手の経験、立場によって万華鏡のように違った解釈が可能だ。私は日本人の男性で、顔にあざのあるユニークフェイス当事者だ。その立場と経験から、この件を解釈したにすぎない。

 私はスミス氏の暴力を否定するが、容姿をからかうスタンダップコメディアンの役回りを否定しない。容姿をからかわれた人間が反撃のためにブラックジョークを使う自由を否定することにつながるからだ。

 私たちは容姿のからかいから逃げることはできない。誰もが「加害者」「被害者」「傍観者」になるからだ。全ての人間が容姿をネタにしたジョークの当事者なのだ。スミス氏のビンタはそのことに気付かせてくれた。

 ビンタは暴力だが、スミス氏を責め過ぎてはいけない。その暴力行為への処罰は法に従う。それ以上の社会的制裁や、バッシングは不要だ。容姿のからかいの解決策は「言葉による反論」、そして最後は「許し」だ。私たちは全員、容姿から自由になれない存在であり、容姿の奴隷なのだから。

石井政之(いしい・まさゆき) 作家・ライター。1965年生まれ、名古屋市出身。豊橋技術科学大卒。フリーランスの立場で顔にあざや傷がある当事者を取材し、99年に自伝的ノンフィクション「顔面漂流記」(かもがわ出版)を刊行。読者の手紙を読んでユニークフェイス当事者としての活動を開始し、NPO法人ユニークフェイスを立ち上げた(その後、解散)。現在はユニークフェイス研究所代表。著書に「肉体不平等」(平凡社)など。(2022年4月14日掲載)

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