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内村航平が体操界に残したもの 「キング」と呼ばれたオールラウンダー

異例の引退イベントで終止符

 体操男子で傑出したオールラウンダーとして一時代を築き、世界中の選手が憧れた内村航平(33)=ジョイカル=が現役を引退した。けがが多く浮き沈みが激しい競技にあって、個人総合で五輪連覇、世界選手権6連覇、国内では驚異の40連勝―。輝かしい実績を残した。3月12日には東京体育館で異例の引退イベントを大々的に開催。ゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒の全6種目を演技した。両肩痛のため最近はほとんど練習していない種目もあったが、技の数や難度を抑え、美しさを重視。約6500人のファンに最後の勇姿を届け、「幸せな体操人生だった」とあいさつした。

 敬意を抱かれ「キング」と呼ばれた内村が、日本体操界に残したものは何か。引退イベントに参加した新旧の日本代表や指導者らの声を重ね合わせていくと、成績だけでは測れない存在感の大きさが表れてくる。(時事通信運動部 長谷部良太)

◇ ◇ ◇

 内村と誕生日が2週間違いの山室光史(コナミ)は、高校時代からライバル同士だった。日本代表入りは内村の方が早かったが、山室もパワフルな体操を持ち味に台頭。2人は2012年ロンドン五輪で日の丸を背負った。だが、山室に悲劇が待っていた。団体決勝の跳馬で着地に失敗し、左足甲を骨折。個人総合の棄権を余儀なくされた。絶望にうちひしがれた夜、同部屋の内村が足に包帯を巻いた親友に声をかけた。

 「また4年後、一緒に戻ってこよう」

 山室は当時を振り返る。

 「けがをしてしまい、すごく苦い思い出になったけど、その言葉をずっと追い求めてリオデジャネイロ五輪まで走り続けられた。それが僕のリオまでの体操人生だった。航平はライバルで、尊敬できる人でもあるという不思議な存在」

 4年後のリオ五輪団体決勝。内村は6種目、山室はあん馬とつり輪を演技し、ともに金メダル獲得の原動力に。団体制覇は04年アテネ五輪以来の快挙となった。

仲間を鼓舞するひと言

 内村の言葉に背中を押されたのは、山室だけではない。13年世界選手権で内村に次ぐ個人総合銀メダルの加藤凌平(コナミ)は、けがとうまく付き合いながら競技を続けることの重要さを学んだ。15年世界選手権を前に足首を痛め、大会に出るかどうか悩んだ末、内村に相談。返答は明快だった。

 「俺なら痛くても出るよ」

 迎えた世界選手権。加藤は団体決勝で4種目に出場し、日本の37年ぶりとなる金メダルに貢献した。内村の言葉で自らを奮い立たせ、痛みを乗り越えてつかんだ成果だ。

 「あそこで出場して金メダルが取れたからこそ、次の年(16年)のリオ五輪金メダルにつながったと思っている。あのエピソードは心に残っている」。加藤はリオ五輪でつり輪以外の5種目に出場。内村と並ぶ主力として活躍した。

 「田中3きょうだい」の末っ子としても知られる田中佑典(コナミ)にも、忘れられない思い出がある。内村に勝るとも劣らない美しい倒立姿勢を持つが、大事な局面で大きなミスをしてしまうことがあった。世界選手権や五輪の平行棒や鉄棒で、しばしば落下。ロンドン五輪ではゆかの前転技で頭を打ち、脳振とうにより演技を中止したこともある。責任を感じて気落ちする田中に、内村は声をかけた。

 「佑典はチームに必要だよ」

 絶対的な王者からの励ましは、心に響いた。「そのひと言で、また頑張ろうと思えた。いつも前向きで勇気をもらえる言葉をくれるし、演技や姿勢からも勇気をもらえた」。そう振り返る田中は、リオ五輪の団体決勝で高得点を連発。内村の言葉で自分の存在価値を再確認し、大きな重圧をはねのけた。

「ひねり王子」の素質を見抜く

 体操を誰よりも愛し、技術の研究や鍛錬を怠らなかった内村は、他人の才能を見いだすのも得意だった。ゆかや跳馬のひねり技を得意とし、「ひねり王子」とも呼ばれた白井健三さんは、昨年6月に24歳で引退。幼い頃の記憶が鮮明に残っている。

 「僕が10歳で航平さんが大学1年でした。当時、本当にただひねっているだけの少年に、『リオ五輪の時は19歳か。いけるな』と言ったんです。それだけ先のことまでしっかり見えている人だなと、後々になって思いました。僕が五輪に行くことを、誰よりも先に分かっていた人だと思う」

 白井さんは世界選手権の種目別ゆかを3度も制し、リオ五輪の団体金にも貢献した。白井少年の天性の素質を見抜いた目に、いささかの狂いもなかった。

 内村と誕生日が1週間しか違わない亀山耕平(徳洲会)にとって、内村との出会いはある種の絶望感も伴う記憶となっている。

 「航平と知り合ったのは高2の時で、15年前くらい。本当に衝撃的で、『うわ、こんなやつが出てきた。こいつには勝てない』と。6種目やるのを諦めようかなと思った」

 冗談交じりにそう振り返る亀山は、実際にスペシャリストとしての道を突き進んであん馬を極め、13年世界選手権の種目別王者となった。「間近で歴史的な瞬間を見させてもらった。人生の中で彼と一緒に体操ができたことは自分にとって自慢や誇り」

「後継者」橋本も言葉を励みに

 高校時代から10年以上も世界トップレベルで活躍し続けた内村。そんな姿をテレビで見て育った日本代表も増えた。若手にとって、これ以上のお手本はない。憧れの内村と代表合宿などでともに時間を過ごし、それぞれが自身の競技人生に大きな影響を受けている。

 昨夏の東京五輪で個人総合と種目別鉄棒の2冠に輝いた20歳の橋本大輝(順大)は、五輪代表入りが懸かった昨年の全日本選手権予選のあん馬で2度落下し、7位と振るわなかった時にかけられた言葉を励みにしている。

 「予選であまり良くなかった時、『大輝ならいける』と言っていただいた。あれで五輪代表に入ることができたと思うし、今でもその言葉を大事にしている」

 橋本は全日本の決勝で1種目目のあん馬をミスなくこなすと、その後も高難度の技を次々と決めて初の日本一に輝いた。複数種目でスペシャリストとしても通用する高い技術と安定感を強みとする若きエース。東京五輪では、内村の後継者として申し分のない成績を残した。

 20年全日本王者の萱和磨(セントラルスポーツ)も、内村のスタイルを継承する1人だ。抜群の安定性から「失敗しない男」と呼ばれる萱は以前、練習中にミスをする自分が許せず、「駄目」「悪」といったネガティブな感情が湧いていたという。そんな姿を見た内村からかけられた言葉が、意識を変えるきっかけになった。

 「練習では失敗していい。ミスには学びがある。それを試合で出さないようにすればいい。失敗は財産になる」

 試合でほとんどミスをしない内村の言葉は、萱にとって「目からうろこ」だったようだ。

 「その言葉を聞いてから、少し気持ちが楽になった。今は練習で失敗することも受け入れて、試合でいい演技が出せるように日々頑張っている」

 萱は東京五輪のあん馬で銅メダル。その後、北九州市で行われた世界選手権では銀メダルを獲得し、今は頂点を目指してさらなる技術の向上に励んでいる。

医師がついていけない知識量

 指導者やかつてのエースの話からも、「キング」の特異さがうかがえた。内村が16年に日本体操界初のプロに転向するまで所属していたコナミで指導した森泉貴博コーチは、内村が体操界に残したものの一つは練習に向かう姿勢にあるとみている。

 「世界一の練習をしなければ世界一になれないことを、自分の体で周りの人に示した。田中佑典も内村についていくことで右肩上がりに成長した。萱の練習スタイルも変えたし、後輩たちに伝わっている。全ての競技に共通しているのは、その競技を好きになれば強くなるということ。口で言うのは簡単だが、実際にやるのは難しい。それをまさにやり続けたのが内村だった」

 どれほど競技を愛していようとも、世界トップに立つには過酷な練習の積み重ねが欠かせない。特に体操選手はけがで練習ができないことも少なくないが、内村はそれさえも乗り越えてみせた。森泉コーチは驚きを交えて振り返る。

 「けがをした時の治癒能力が半端じゃなかった。大会が近づくと、痛めている部位の筋力が上がり、痛みが和らいでくる。どんどん練習できるようになり、練習量も増え、試合では完璧。(大会直前の)試技会でさえ、失敗は本当に数えるほどしかな​かった」

 天性の素質もあるだろうが、それを可能にしたのは体に関する知識の豊富さだった。コナミの今井聖晃トレーナーは、こんなエピソードを示す。

 「けがをして病院に行った時、航平と僕、医師の3人で話したことがあった。その時に航平は医師と(けがの詳細や治療法について)対等に会話をしていたし、周囲にいた他の医師がついていけないほどだった。あんな選手は見たことがなかったし、僕自身が教えられることも多かった」

 自分がどの筋肉や関節をどのように痛めているのか、そこにどんな治療を受ければ回復が早まるのかを熟知していたことが、森泉コーチの言う驚異的な「治癒能力」につながっていたのだろう。

憧れの存在だった先輩も敬意

 内村の引退イベントには、アテネ五輪男子団体金メダリストの塚原直也さんも解説者として訪れていた。内村にとって、塚原さんは憧れの存在。中学を卒業後に地元長崎から上京した理由は、塚原さんがいた朝日生命クラブで一緒に練習するためだった。44歳の塚原さんは、内村の高校時代を述懐する。

 「最初の頃は遊んじゃうタイプだった。でも鉄棒で失敗が続くなどして、『遊んでいては駄目』という感じで練習に打ち込むようになった。成績を意識し始めてからは、世界一の練習をしないと世界一になれないという思いでやっていたと思う」

 内村といえども、競技人生の最初からストイックだったわけではない。度重なる失敗や挫折を経て、練習に対する意識を変えたことで世界一に上り詰め、それを長年継続できるようになった。

 「一緒に練習したことがある選手は、これくらいの練習をしないと歴史に残る選手になれないと分かっている。でも、まねしたくてもできない。基本的に練習を休めない体操で、10年以上も濃い練習を続けられたことはすごい。全選手の目標だし、僕がたどり着けなかったことをやってくれた。その強さに憧れていましたよ」

 自分のアイドルだった先輩から、逆に憧れられるほどの成長を遂げた内村。体操ニッポンの先頭を長く走り続けた「キング」の意思は、後輩たちに受け継がれていく。​

◇ ◇ ◇

 内村 航平(うちむら・こうへい) 3歳で体操を始める。中学卒業後に長崎県から上京。朝日生命体操クラブで技を磨く。日体大在学時に2008年北京五輪で団体総合と個人総合で銀メダル。12年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪で個人総合を連覇し、リオ五輪は団体総合の金メダルにも貢献。世界選手権では09年から個人総合6連覇、15年には37年ぶりの団体総合優勝に貢献した。全日本選手権個人総合は17年まで10連覇するなど、個人総合40連勝の記録も持つ。16年12月から日本体操界初のプロ選手として活動。昨夏の東京五輪は種目別の鉄棒に絞って出場し、予選で敗退した。162センチ、52キロ。33歳。福岡県生まれ。

◇内村航平の主要大会メダル

 年  大 会    種 目
2008 北京五輪   団体総合 銀
          個人総合 銀
 09 世界選手権  個人総合 金
 10 世界選手権  団体総合 銀
          個人総合 金
          ゆ  か 銀
          平行棒  銅
 11 世界選手権  団体総合 銀
          個人総合 金
          ゆ  か 金
          鉄  棒 銅
 12 ロンドン五輪 団体総合 銀
          個人総合 金
          ゆ  か 銀
 13 世界選手権  個人総合 金
          ゆ  か 銅
          平行棒  金
          鉄  棒 銅
 14 世界選手権  団体総合 銀
          個人総合 金
          鉄  棒 銀
 15 世界選手権  団体総合 金
          個人総合 金
          鉄  棒 金
 16 リオ五輪   団体総合 金
          個人総合 金
 18 世界選手権  団体総合 銅
          鉄  棒 銀
(リオはリオデジャネイロ)

(2022年3月28日掲載)

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