半年以上が過ぎても、そのシーンは鮮明だ。昨年8月6日に東京・国立競技場で行われた東京五輪陸上男子400メートルリレー決勝。2016年リオデジャネイロ五輪の銀メダルを上回る金メダルを狙った日本は、1走の多田修平(住友電工)から2走の山縣亮太(セイコー)へのバトンパスに失敗し、レースは棄権に終わった。
期待や注目度が高かっただけに、同五輪で最も印象的なひとコマかもしれない。精密なパスが強みのはずの日本チームに何が起きていたのか。経験や反省を今後にどうつなげていくか。リレーを統括した日本陸連の土江寛裕ディレクター(47)に、改めて詳細に検証してもらった。今季のトラックシーズンを前に「失敗しているのでネガティブではあるんですけど、ポジティブな形につなげていく役割があると思っています」と語った。(時事通信運動部 山下昭人)
予選でタイム上がらず
決勝前日の5日午前11時30分に行われた予選。多田、山縣、桐生祥秀(日本生命)、小池祐貴(住友電工)の走順で臨んだ日本は38秒16の1組3着(後日に英国の失格が決まり1組2着)で予選を通過した。リスクを減らして確実につなぐ「安全バトン」(山縣)だったとはいえ、決勝に進んだ全チームの中で最もタイムが遅く、予選敗退したフランスとはわずか0秒02差。「薄氷の決勝進出」と伝えるメディアもあった。だが、土江さん自身は悲観的に捉えてはいなかったという。
「予選は基本的には通ればいい。(決勝では最も外側でカーブが緩く、スピードに乗りやすい9レーンを走ることになり)僕としてはむしろラッキーだと。しかも米国が予選で落ちた。米国はバトンが(問題なく)渡ったら絶対に勝てないメンバーですから。米国が予選で自滅してくれて、完全に横一線のレースになる中で一番アウトレーン。これはもう勝てる、狙い通りだねって言ったら(選手たちは)笑っていました」
バトンパス時の走者の減速を極力抑えたお家芸の「アンダーハンドパス」を本来の形で繰り出し、選手が出力を上げられれば勝機はあるとチームは捉えた。予選後に小池が「まだトップスピードを上げられる感覚はある」と話したように、余力は感じられた。予選でタイムが上がらなかった要因には、暑い中で行った直前のバトン練習で疲労を残してしまったこともあると分析。土江さんは決勝に向け「37秒50で金メダル」の青写真を描く。日本は銀メダルに輝いたリオ決勝では37秒60を出し、19年世界選手権は37秒43のアジア新記録で銅メダルを獲得していた。
「個人の(予選での)タイムが、これまでと比べてどれだけ出ていなかったか分かったんです。それを積算すると、0.5秒は間違いなく上がるというような数値が出ていました。たまたま37秒50がイタリアの優勝タイムだったので、後付けみたいに聞こえるかもしれませんが、選手には37秒50だと言っていました。ある程度、根拠を持って話をしました」
失敗に2つの要因
迎えた8月6日午後10時50分の決勝。日本は予選とメンバーも走順も同じ4人で臨んだ。号砲が鳴ると、予選の走りはもう一つの印象があった多田が勢いよく飛び出した。トラックのほぼ反対側にいたアンカーの小池が「速い。切れがある」と感じたスタート。隣の8レーンのイタリアとの差を広げ、カーブを曲がってバックストレートへ。先頭を争う位置で山縣に渡るとの期待が膨らんだ直後に、よもやの光景が…。
多田がバトンを持った右手を懸命に前に差し出すが、加速する2走の山縣との距離がなかなか縮まらない。バトンパスが行えるゾーンの長さは30メートル。山縣の左手にバトンが収まることのないまま、ゾーンを越えてしまった。日本のレースはあっけなく終わり、多田は天を仰いでしゃがみ込む。出番が来なかった桐生や小池は立ち尽くしていた。
リレーでは、前の走者が走ってくるレーン内で事前に足を使って長さ(足長)を測り、自分が走り出すタイミングの目印を貼る。決勝で山縣はその位置を予選から約20センチ遠ざけ、早めにスタートを切った。大会前の練習ではそのタイミングで2人は問題なく受け渡していて、「攻めたバトン」との意識もそれほど関係者にはなかった。自信があったからこそ、土江さんは「油断があったのかな」と思い返す。バトンパス失敗の原因として①山縣のスタートの鋭さを見誤った②内側の8レーンのイタリア第2走者が、カーブを回った多田の視界に入り、走りが乱れた―を挙げる。
「試合になるとスプリンターはスイッチが入る。強い選手であればあるほど、振り幅が大きくなる。山縣君があそこまで決勝で素晴らしいダッシュをするとは、ある程度は予想していたんですけど、予想以上でした。9レーンは直線でスタートがしやすいというところも、もう少し織り込まなくてはいけなかった」
「多田君もめちゃくちゃいい走りをしたんですけど、最後に(隣のレーンで2走を走る)ヤコブスのお尻が出て来るということに僕がアラートを出さなかったんです。予選では(内側の)大きい英国のヒューズが必ず出っ張ってくると言っていて、手前から大回りできたんですけど、(決勝は)直前で急に進路変更しなくちゃいけないようなことが起こっちゃった。本当はわれわれが先取りして選手に注意を与えておく、もしくは(走り出す位置を決める)足長に反映させていくところですけど、それができなかった。難しいんですけどね。金メダルを狙っていく上で、安全に(足長を)縮めようとするのか、これで渡ると信じてやるのか。結果的に後者を選んで失敗した。結果としてそうなってしまったので、やるべきことができたんじゃないか、という反省は持っています」
コロナに翻弄された強化プラン
失敗の背景を突き詰めれば、19年まで国際大会で実戦を重ねて積み上げてきたリレーへの手応えが、新型コロナウイルスの影響で崩れたことにも行き着く。土江さんは「日本チームだけではないので、言い訳にしかならない」と断りつつ、こう話す。
「完全にコロナに翻弄された。20年を完璧に近い状況で迎えるはずだったところが、一気に崩れたという部分はあります。選手によっては2年以上、リレーをせずに五輪を迎えることになってしまった。さらに(6月の)日本選手権から(7月開幕の)五輪まで1カ月ないくらいの間で、一気にリレーをつくらなければならなくなってしまった。短い時間で、リレーの準備に肉体的にも精神的にもエネルギーを割かなくてはいけなくなった。(男子100、200メートルで全員が予選敗退した)個人の失敗にも、リレーが少し影響を与えているんじゃないかというところもあります」
17年には男子100メートルで桐生が初めて10秒の壁を破る9秒98をマークし、サニブラウン・ハキーム(タンブルウィードTC)や小池も9秒台に到達。五輪前には山縣が9秒95で日本記録を更新した。1人も9秒台がいなかったリオに比べて各個人の記録が向上し、今回のリレーメンバーは史上最強の呼び声もあった。
「世の中というよりは、選手たちに向かって金メダルを取りましょうとあえて言っていました。選手たちも取れると思って取り組んできた。メンバーに入るために、リオよりも一段階個人のレベルが上がったと思います。軸足が個人よりもリレーにあったというところに関しては、僕は一つの強化の戦略としては正しかったんじゃないかなと思っています。結果的に個人の強化にもつながって、実際に金メダルを狙えるメンバーでスタートラインに立てたというところに関しては、プラスの評価であってもいいんじゃないでしょうか」
「個人をしっかり高める必要」
一方で東京五輪では、依然としてある個人の力量の差も見せつけられた。100メートルでは、蘇炳添(中国)が準決勝で自身の持つアジア記録を大きく更新する9秒83をマークしてファイナリストとなった。リオで銀メダルに輝いたことで、地元の東京五輪ではリレーの金メダルが第一目標になるのはある意味で自然な流れだったが、今後は「個人で戦った上でのリレー」とより意識したいという。
「ある程度、個人の犠牲を払ってでもリレーの金メダルを目指そうというのは東京五輪だったから。リレーが大事であるところは変わらないんですけど、五輪の個人でファイナルに残った100、200の選手というのはいまだに(1932年ロサンゼルス五輪100メートル6位の)吉岡隆徳ひとり。1ランクも2ランクも上にいかないといけない。9秒83はショックだった。今はとても見えない、先にある記録のようになってしまっている。少なくともアジア新を、という言葉が選手の口から出るようになるまでは個人をしっかり高めていく必要があると思っています」
昨秋、08年北京五輪400メートルリレーで銀メダルを獲得したメンバーの一員、高平慎士さん(37)が今後のリレーチームのかじ取り役となる構想が日本陸連から明らかにされた。「リレーを重要種目として国内に根付かせたい」との思いを持つ土江さんは、新体制ではディレクターとして高平さんを支えることになった。
「サッカーとかでも、何とかジャパンじゃないですか。土江ジャパンじゃ格好悪いでしょ。高平ジャパンで、パリで金メダルをリベンジしてほしいです。(北京五輪で)最初にメダルを実現してくれた選手であり、僕も一緒に組んでいた戦友でもある。彼しかいないと思って、ずっと口説き続けていた。高平ジャパンをできるだけバックアップしたいと思います」
(2022年3月24日掲載)