「日本のファンがっかりさせない」
国際ボクシング連盟(IBF)ミドル級王者のゲンナジー・ゴロフキン(39)=カザフスタン=が、さいたまスーパーアリーナで4月9日に行われる世界ボクシング協会(WBA)同級スーパー王者の村田諒太(36)=帝拳=との王座統一戦を前に、時事通信の書面インタビューに応じた。これまでの戦績は41勝(36KO)1敗1分け。世界タイトルの防衛回数は、17戦連続KOを含め計21度を誇る。
書面インタビューは2度にわたり、当初の試合予定を控えていた昨年11月と、延期後の日程が今年3月上旬に決まった後にそれぞれ実施した。この中でゴロフキンは、自身のファイトスタイルについて「私はあえてKOで勝つことを選ぶ」と強調し、村田戦に向けて「日本のファンをがっかりさせないように頑張る」。決戦の前日に40歳の誕生日を迎える希代の名チャンピオン。KO決着に並々ならぬ意欲を示している。(時事通信運動部 安岡朋彦)
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試合は当初、さいたまスーパーアリーナで昨年12月29日に予定されていた。だが、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」感染拡大で外国人の日本入国が原則停止となって延期に。ゴロフキン自身、およそ1年ぶりの試合だっただけに落胆したという。それでも、ボクシング界きっての紳士としても知られるだけに、延期決定に理解を示し、コロナ禍の日本を気遣った。
「とてもがっかりしたが、理由は理解できたし、新型コロナで苦しむ日本を思うと心が痛んだ。(試合よりも)日本人の健康こそ優先されるべきだった」
調子のコントロールに集中
陣営によると、村田戦に備えたキャンプは12月にいったん中断し、今年2月に再開した。難しい調整を強いられたはずだが、ゴロフキン自身は仕上がりには自信を示している。
「状態はとてもいいんだ。キャンプの中断中も(トレーナーの)ジョナサン・バンクスと連絡を取り、コーチと一緒に練習をして調子と体重を維持していた。これが大きな助けになった。(延期になっても)自分がコントロールできることをコントロールするしかない。そこに集中した」
延期が決まり、先が見えなくなった。それでも、日本での村田戦をキャンセルする考えは「なかった」。日本は拠点の米国から遠く離れていて、時差もある。イレギュラーな調整を強いられたこともあり、実力者のゴロフキンとはいえ簡単な戦いではないはずだ。何がゴロフキンの意欲をかき立てるのか。
「日本はプロとして試合をする9カ国目になる。(異なる環境で試合をやるのは)慣れたもの。世界チャンピオンは、可能であるなら世界中どこであっても試合をするべきだ。それに日本には素晴らしいボクシングファンがいる。村田の本拠地で、村田のファンの前で試合をするのは素晴らしい、忘れられない経験になる。これがモチベーションにならないというのなら、いったい何だったらなるんだ?」
残してきた戦績に誇り
ゴロフキンは2006年5月にプロデビューし、10年8月にWBAミドル級のタイトルを獲得した。そして同年12月から16年9月にかけて母国カザフスタン、パナマ、ドイツ、ウクライナ、米国、モナコ、さらには英国と世界各地で試合に臨んで17連続KO防衛。1982年にスーパーバンタム級でウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ)がマークした歴代最多連続記録に並んだ。2017年3月の防衛戦は判定勝ちで、連続KO防衛は途切れたものの、自身のスタイルにはこだわりを持っている。
「自分が残してきた戦績に誇りを持っている。これは生涯にわたるハードワークと献身、鍛錬が反映されたものだ。このファイティングスタイルは私に合っている。リングに2人のボクサーが上がると、大抵はスタイルの異なるもの同士のぶつかり合いになる。私はそこで、あえてKOで勝つことを選ぶようにしている」
村田戦でも、目指す結果は変わらない。一時は、その強さゆえ対戦相手がなかなか見つからない時期があったことは日本でもよく知られた話。来日を待ちわびている自身のファンの期待も十分に理解している。
「日本のファンをがっかりさせないように頑張る」
諒太は強いし、尊敬している
村田とは14年に合同で練習を行い、スパーリングで対峙(たいじ)したこともある。
「もちろん覚えている。あの時は僕も彼も、今よりもずっと若かったし、何年もたって2人とも(ボクサーとして)変化を遂げている。だから、あのスパーリングから試合に生かせることはない。質の高いスパーリングだったということは覚えている。諒太はガッツのあるファイターで、それがスパーリングにも表れていた」
今年2月に再開したキャンプではジョナサン・バンクス・トレーナーとともに、トレーニングだけでなく村田の研究も進めていたようだ。
「相手を研究し、私と一緒に戦略を立てることもジョナサンの仕事。キャンプではそれもやった。諒太の試合を見たことはあるし、彼は強いと思う。五輪で金メダルを取って、2度世界王者になったのには理由がある。彼を尊敬している。だから、この試合のために一生懸命練習した」
10年前と変わっていない
既にボクサーとして大ベテランの領域に入っているにもかかわらず、年齢を重ねてなお、ボクシングへの情熱は衰えない。
「自分のパフォーマンスに対するプライドが(現役続行の)モチベーションになっている。ファンの皆さんに素晴らしいショー、すなわち『ビッグドラマショー』をお見せしたい。自分の潜在能力を十分に発揮したいという意欲もある。ボクサーとして最高の状態になりたい」
スポーツ選手にとって、年齢は大きな障壁となる。ゴロフキンについても、関係者からは衰えを指摘する声がかねて上がっている。しかし、本人の感覚では「全盛期」と言われる10年前と状態は変わらないという。
「確かにトレーニングをすることは簡単ではなくなってきているが、年を重ねて経験を積むことで、より賢く効果的にトレーニングができるようになった。調子はとてもいいし、私は10年前と何も変わっていないと感じる。まだボクシングが好きだし、厳しい練習を楽しんでいる」
タイソン―ダグラス戦以来の大きな試合に
ゴロフキン―村田戦は日本では、ボクシングに関心がなかった層からも注目を集めそうだ。カザフスタン出身のゴロフキンも、その点を強く意識している。1990年2月、東京ドームで当時最強を誇ったヘビー級世界王者のマイク・タイソンと挑戦者ジェームス・バスター・ダグラスとの一戦が行われたことは、国外のファンや関係者の記憶にも深く刻まれている。ボクシングファンの誰もが知る、ダグラスが番狂わせを演じた試合。その戦いを引き合いに出した。
「もっとボクシングを見たい、と思わせる戦いをしたい。どんなスポーツも新しいファンを引き込むことが活力となる。この戦いは世界タイトル戦以上の意味があり、日本では国民的なイベントとなるだろう。そして世界的にも国際的なスポーツイベントになる。日本ではタイソン―ダグラス戦以来の大きな試合になるかもしれない。人々の記憶に長く刻まれるイベントになるだろう」
ゴロフキンをめぐっては、村田戦の後に、過去1敗1分けのサウル・アルバレス(メキシコ)=現スーパーミドル級4団体統一王者=との3度目の対戦の可能性が取りざたされている。
「私は先を見ることはしない。今、目の前にあるのは最高の試合だし、そのことだけを考えている。(村田戦は)素晴らしいイベント。同じ世界チャンピオンを相手に自分を試すのが楽しみだ」
ゴロフキンは延期となった村田戦の日程が4月と決まった際に、「リングに戻り、日本に『ビッグドラマショー』を持ち込むことを楽しみにしている」とのコメントを出した。「ビッグドラマショー」という言葉は、ゴロフキンが試合前によく口にする。今回のコメントにはどのような意味を込めたのか。
「勝つために日本に行き、できる限り派手に勝つ―。そういう意味がある」
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ゲンナジー・ゴロフキン 2004年アテネ五輪のミドル級で銀メダルを獲得。06年5月にプロデビューし、10年8月にWBA同級暫定王座に。後に正規、スーパー王者に認定され、WBC、IBF王座を統一。17戦連続KO防衛を記録するなど圧倒的な強さを示した。サウル・アルバレスとは2度対戦し、17年9月は引き分け。18年9月は判定で敗れてプロ40戦目で初黒星。連続防衛はミドル級最多タイの20で途切れて王座を失ったが、19年10月にIBF王者に返り咲いた。身長179センチの右ボクサーファイター。愛称は「GGG」。カザフスタン・カラガンダ生まれ。
(2022年3月29日掲載)