卓球の2024年パリ五輪日本代表選考レースが始まった。3月5、6日に最初の選考ポイント対象大会として行われたライオンカップ・トップ32(東京・アリーナ立川立飛)。女子決勝は早田ひな(21)=日本生命=が長﨑美柚(19)=同=を4-3で下して優勝した。0-3からの大逆転を可能にしたものは何だったか。次世代の日本選手に必要な戦い方とは-。
押しまくった長﨑
男女とも1回戦から好カード、好試合が続いた2日間を締めくくったのが女子決勝だった。
長﨑は前日の準々決勝で日本のエース伊藤美誠(スターツ)を4-2で倒し、この日の準決勝でも佐藤瞳(ミキハウス)を4-0で破って勝ち上がった。早田は準々決勝で石川佳純(全農)に4-3で競り勝っている。
左同士で、身長は早田が167センチ、長﨑が164センチ。ともにパワードライブを武器とする。似たタイプなら大方、勝敗は地力通りになるもの。長﨑は早田に昨年2度ストレート負けして、今年1月の全日本選手権でようやく1ゲームを奪ったところだった。
だが、この日は長﨑が破竹の勢いで11-5、11-7、11-9で3ゲームを先取する。ロングサービスを多用してテンポの速いラリーに持ち込み、バックハンドを中心に押しまくった。「パワーなら自分が上回っていると思うので、やってみようという気持ちで強気で攻めていきました」と長﨑。乗っている若手は怖い。早田は「何も関係なく全てのボールを狙って打ってきた」と振り返る。
もがきながらの逆転
ここから早田が11-5、11-8、11-9、13-11と4ゲームを連取するが、流れがガラリと変わったわけではない。打球の回転量や緩急、コース、長短に変化をつけて崩そうとしても、簡単ではなかった。
前日の伊藤も変化で揺さぶろうとしながら、長﨑のサービスにてこずり、持ち前のレシーブを生かせず勢いに巻き込まれている。早田は伊藤ほどではなかったが、やはりサービスとレシーブから思うように変化で先手を取れなかった。
球威がありピッチも速くなった長﨑に対し、ラリーになってから変化をつけるのは難しいが、早田は懸命にしのぎながら機をとらえて試みる。微妙に台との距離や打球点を変えながら、ミスをさせたり、苦し紛れにつながせて逆襲のフォアドライブを見舞ったりした。それさえ何点も連取できたわけでない。最終ゲームはジュース。長﨑が勝ってもおかしくない攻防だったが、「苦しかったし1点1点、地道に得点につなげていく点の取り方」を諦めずに通した結果だった。
勝敗のポイントを、日本生命の村上恭和総監督(元ナショナルチーム女子監督)は「早田が緩急をつけたこと。長﨑はまだ『面』でしか卓球ができないから」と指摘する。低い打球で押す長﨑に対し、早田は卓球台の上と下の空間を使えた。
相手の嫌がることは何か
「相手のやりにくいところを探しながら我慢した」と語った早田。「何をしたら点を取れるんだろう」「どうすれば勝てるんだろう」と考え続けたという。こんな経験は「初めて」とも。
さらに早田はそれを、劣勢の中で楽しむ気持ちにもなれた。「これで取れるかな、これはどうかなと、練習で遊びの感覚でやっていたことを出してみた」「試合をしながら楽しかったなって」
言葉通り、緊迫した場面で早田がうれしそうに目を細めたことが何度かある。心理的効果を狙って意図的に口角を上げるスマイルでなく、自然なほほ笑みに見えた。「美誠とダブルスの練習をする時などに、美誠がいろんなことをするのを見ている影響も大きい」と村上総監督。
選手たちはよく「自分の卓球をやるだけ」と言ってきた。他の競技でも「自分たちの野球さえできれば」などと言う。まず得意な戦い方で勝つことを考えるのは当然で、卓球なら攻撃型選手の場合、サービスとレシーブで優位に立ち、そこから自分の得点パターンに持ち込もうとする。
ただ近年は、チキータの登場でレシーブ技術が大きく向上し、対抗するためにサービスのレベルも上がった。回転の分かりづらさはもちろん、コースや長さが微妙に違うサービスを高い精度で使い分ける。明らかな差がない限り、実力上位のはずの選手もなかなか「自分の卓球」をできない試合が増えた。この日の早田も3ゲームを先取され、「きょうは全ての技術において完敗」と認めたほどだが、そこからの戦い方に意味があった。
伝説の戦術転換
卓球界には伝説的な戦術転換がある。1965年世界選手権リュブリャナ(スロベニア)大会。団体戦で日本の高橋浩が中国の偉大な世界王者、荘則棟を破った。これで荘則棟には初対戦から3連勝。世界でそんな選手は他にいない。
荘則棟はフォアとバックを使う中国式の前陣速攻。高橋は、全てフォアで回り込むドライブ型がほとんどだった当時の日本にあって珍しい、バックを振る戦型だったのが、荘則棟に勝てる理由だった。
当時の世界選手権は1年おきの開催で団体戦と個人戦を一緒に行っており、2人はシングルス準々決勝でも対戦する。しかしこの時、荘則棟はバックを振らず、フォアで回り込んで攻めた。得意な戦法ではなかったが、自分の戦法を通すより、この方が高橋を困らせ、勝てる確率が高いと考えた選択だった。試合は荘則棟が勝ち、そのままシングルス3連覇の偉業を遂げる。
中国はその後、無敵の時期が多い王国となり、外国選手に対してそこまで考える戦いは少なかったが、国内では激烈な競争で高度な駆け引きを余儀なくされ、それを可能にする技術の訓練も受けている。
昨年の東京五輪と世界選手権個人戦では伊藤を徹底的に研究し、伊藤が嫌がる戦術を優先してきた。ダブルスでも五輪団体決勝の石川、平野美宇(日本生命)組、世界選手権女子ダブルス決勝の伊藤、早田組に対し、ペアの動きの弱点を周到に突いている。
「悔いなき敗戦」の引力
スポーツ選手は、しばしば「悔いのないように」とも口にする。厳しい練習を積んで臨む大勝負では、これも当然の心理だが、プロ野球担当だった頃、あと「半歩」で優勝を逃したチームのコーチから、こんな話を聞いた。
「これでいって負けたら選手もファンも納得するとか、大勝負でそういう気持ちになることがあるだろ。だけど後で考えると、それって手詰まりなんだよ。自分で手詰まりにしている。勝った時は、最後までどうしたら勝てるかしか考えていないものだ」
苦しくなると、諦めないまでも時に「悔いなき敗戦」が頭の片隅に浮かぶもの。早田は試合後、「自分に勝てた」とも言った。
元ナショナルチームコーチで解説者の渡辺理貴さんは「今までは、練習してきたことをしっかりやりますとか、しっかり力を出せたからよかったといったコメントをする選手が多かった。今でも多くの中堅、ベテランは自分のできることにこだわりを持ってプレーするが、どんな状況でも目の前の相手を見て、その技術に自信があろうがなかろうが、相手が待っていないことをする。それを選択できる選手が次世代で活躍する」と話す。
長﨑が得たもの
もちろん長﨑の躍進は大きな収穫だった。第4ゲーム以降、勝ちを意識したのか、相手がつける変化を見ようとしたのか、打球後の戻りがわずかに遅くなったのは惜しい。同じチームの選手の試合なのでベンチコーチがいないのも、19歳には気の毒だったが、貴重な経験になったに違いない。
村上総監督は「これまでは体が成長期で、腰痛もあったが、体がしっかりしてきて、パワーを出して打った後で体が崩れなくなった」と成長の要因を語る。長﨑自身も「悔しい気持ちの方が強いです。それも含めて今の実力だと思うので、しっかり反省して生かしていきたい」と話し、ますます楽しみになった。
例えば第5ゲームの8-8からロングサービスを2本続け、早田に待たれて連続失点した場面。今は、自分を信じて強気に攻めた結果だと前向きにとらえるのもいいが、経験を積んでしたたかさを身につけた時、振り返ってどう考えるだろうか。
すでに伊藤は、自分の卓球と勝てる卓球、負けない卓球の間で試行錯誤を続けてきた。それでも卓球には選手の数だけ戦型があり、同じ相手でも前回の対戦や事前に収集した情報と違うことが多い。自分の状態も試合によって変わり、今回は長﨑に不覚を取った。
張本美和(木下アカデミー)は中学1年生ながら、試合の流れや相手の心理などの「読み」を強く意識して試合をしている。今はまだ、分かっていても実践できないことが多くて歯がゆそうだが、その気持ちが、技術の幅を広げる後押しになるだろう。
「世界」を見てこその代表争い
この大会は基準を満たしたトップ選手男女各32人によるトーナメントで行われ、順位に応じて代表選考のポイントが与えられた。
まだパリ五輪の種目や試合方式さえ未定だが、現在の方針では、これから24年1月の全日本まで、日本卓球協会が定めた計6回の国内選考会と2回の全日本、今年のアジア競技大会シングルス、来年の世界選手権個人戦シングルスとアジア選手権シングルス、そして向こう2季のTリーグを対象として得たポイントで、シングルス代表男女各2人を選ぶ。
五輪代表の選考方式は国・地域によって違い、完全な正解はない。今回の方式にもうなずける異論は聞こえるが、少なくとも東京五輪のように世界ランクだけでシングルス代表を決める方式は、選考レース開始時点のランクが大きく物を言い、最初から候補が絞られ過ぎた。けがで国際大会にあまり出られない時期があった早田は、回復して急速に力をつけていたのに、間に合わなかった。今の長﨑のような選手も、前回の方式ではパリ五輪のシングルス代表になれない。
女子は誰がベスト8に残ってもおかしくない混戦で、男子にも横谷晟(愛知工大)、篠塚大登(愛工大名電高)のような選手が出てきた。東京五輪より今回の選考方式の方が、伸び盛りの若手が多い日本の現状には適している。
その上で、国内選考中心であっても、選手たちが常に世界で勝てる技術、戦術を求め、そして勝つための「思考」を身につけて戦えるかどうか。早田と長﨑の勝負からそんなことを考えた。(時事通信社 若林哲治)(2022.3.8)