リーグワン、トヨタの32歳
ラグビーの国内新リーグ、リーグワンのトヨタに所属するSH滑川剛人(32)は、審判としても活動している。平日はチームの練習で汗を流し、休日には試合でホイッスルを吹く。社会人10年目の今季は選手登録ながら、国内最高峰リーグでレフェリーを務める。プレイヤーのキャリアが豊富な滑川が一転、選手をジャッジする側に。日本ラグビー界の未来も背負う使命感を抱く熱きラガーマンの思いに迫った。(時事通信名古屋支社編集部 浅野光青)
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滑川は神奈川・桐蔭学園高、帝京大を経て2012年にトヨタ自動車(現トヨタ)に加入。昨季のトップリーグ(TL)ではプレーオフを含めて全10試合中9試合に出場し、チームの4強入りに貢献した。主に途中出場で「どんな展開でもチームをいい方向に持っていく、舵取りの役割」を担った。全国大学選手権3連覇や年代別代表も経験。ラグビー界の王道を歩んできた。異例の挑戦を始めたのは、列島がワールドカップ(W杯)日本大会に沸いた19年だった。
同年12月、トヨタ自動車は日本協会主催の審判発掘、育成プログラム「TIDプログラム」に滑川を派遣すると発表した。プログラムを主導する協会のレフェリーマネジャー、原田隆司さん(54)によると、海外ではトップ選手がセカンドキャリアとして審判に転向し、育成期間を経て国際大会で笛を吹く流れがあった。19年W杯日本大会で主審を務めたオーストラリアのニック・ベリーさんは、スーパーラグビーなどでプレーした経験を持つ。こうした例を念頭に、協会は世界で通用する審判を育てようと各チームに相談。トヨタからは滑川が候補として伝えられた。
滑川が当時を振り返る。「選手をやりたかったので濁していた。だが、結構押されたので、やってみようと思った」。もともと、人がやっていないことをやるのが好き。始めてみると手応えもあり、徐々に前のめりになっていった。
「こういうことをしていけばラグビー選手の幅が広がるんじゃないかなと思った。大学の時もいい思いをしたし、社会人でもこれだけ長くラグビーをやらせてもらっているので、ラグビー界への恩返しというか何か後輩へ残せたらなという思いがある。日本の一つの問題が、レフェリーのレベルが低いと言われていること。選手としても感じたし、そこをもっと上げてもらわないと強くならない。レフェリーの能力をもっと伸ばさないといけないので、その先駆けとして選手上がりがもっと増えればいいなという気持ちがあり、いいモデルケースになれれば」
27年W杯の主審が「使命」
滑川にとって最大の目標は27年W杯。日本協会の「日本ラグビーフットボール史」などによると、日本人がW杯で主審を務めた例は、1995年大会の斉藤直樹さんだけ。ただ、当時は出場国に推薦枠があった。国際統括団体が審判団を選ぶ現行の方式になってからは、一人もいない。
だから、W杯について問うと言葉に熱が帯びる。「W杯に主審として立つことが自分の使命。2027年という楽しみがなければ、本当は人のためだけには動けない」
原田さんは、「ものすごく狭き門」とW杯で主審を務める壁の高さも指摘しつつ、実現の可能性も感じている。
「彼の伸び、パフォーマンスは高いので、今までレフェリーを強化してきた時とはちょっと違う。ラグビーというスポーツ自体が、黒と白を判断するだけではなく、その時の熱感とかも感じないといけないし、グレーな反則をどちらで取るかというところで、競技規則には書いてあるが、それを超える判定のセンスが必要。大学選手権で優勝した際のSHなので、そういう舞台にも全然動じない。適切な判断をするメンタルも含め、僕らがたたき上げでレフェリーをつくっている中では、ないものを持っている」
優れたコミュニケーション能力
原田さんが特に評価するのが、コミュニケーション能力の高さだ。「説明する責任、説得性、コミュニケーションを取りながらアジャストしていく力が求められる。(滑川は)そこに自信がある。正しい判断、経験を持っているのでいい判断ができる」と評価する。当初は学生レベルやTL下部などの試合でレフェリーをしていたが、昨年10月に国内で行われる全ての試合を担当できるA級の資格を取得。同月には日本―オーストラリアのテストマッチで副審を務め、初めて代表レベルを経験した。
この試合のレフェリーはワールドラグビーから選ばれたいう経緯があり、世界の中でも滑川の序列が上がっていることを示している。滑川は、こう話した。「自分を入れてくれたのは、期待も込めてだと思う。わくわくはしたが、どんな旗を振ったというよりは、そこに立てたことが一番の価値。これまではレフェリー畑でやっていた人を選ぶという感じだったが、世界の流れとして選手からレフェリーになる流れが出てきたので、それに日本が乗ったということを楽しみにして選んでくれた」
プログラムの一環で、昨年11月にはフランスに渡ってプロリーグの試合を裁いた。「もともとレフェリーとしては誰よりも未熟だったので、焦りはあったが、いろいろな人に助けてもらってどんどん勉強させてもらい、(今は)他のレフェリーにも負けないところを持ちながらできているので、自信を持てている」
レフェリングに高い評価
昨季までは選手として試合に出たが、今季は審判に軸足を置く。本人の希望をチーム側が尊重したという。背景に、リーグワンの審判員が限られた人数しかいないことに加え、チームにはSHが多いという事情もある。
審判として自身初めての国内最高峰リーグ。開幕前には、「日本で一番高いレベルなので、楽しみはある。ただ、シーズンは長いから、一つの試合に一喜一憂することなく、平均的にちょっとずつでも自分の能力を上げていければ」と抱負を語った。
副審を予定していた1月7日の開幕戦は新型コロナウイルスの影響で中止となったが、9日の大阪―BR東京戦で主審を務めた。試合後はチームのインターネット交流サイト(SNS)で「いろいろな方の理解、サポートがあり本日、無事にレフェリーとしてファーストキャップを獲得することができました。これからも頑張ります」とのコメントを出した。
原田さんによると、リーグワンでのレフェリングは上々。反則を見逃すなどの課題もあったが、「相当高いレベル」と原田さん。19年W杯日本大会で副審も務めた久保修平さんを含め、「ファーストキャップのレフェリーの中では一番うまい。今後もシーズンで吹き続けられる十分なパフォーマンス」とみている。
滑川は、レフェリーであってもチーム(トヨタ)に所属している。「公平性」の観点はどうなのか。原田さんは、次のような見解を示した。「(トヨタが)1部にいるからといって、2部だけだと(審判の)強化にはならない。前半戦はトヨタの試合を除いて全チームに振り分ける」とした上で、リーグが後半に入って順位争いが激しくなっていけば、トヨタ以外でも振り分けを慎重に行うという。最大の懸案はプレーオフ。大舞台での経験はさせたいが、「トヨタが上にいけばいくほど、笛は吹きにくくなる」。悩ましい実情は否めない。
「選手」を続けるかは自問自答
平日はチームの練習に参加。今季、けが人が出た場合は選手として出場することも考えられるという。だが、滑川は「トップリーグのラストイヤーで試合に出させてもらってプレーしたので、最悪、1分も出なくても何の後悔もない」ときっぱり。審判としての固い決意をのぞかせた。
ならば、選手を続ける意味はあるのか。悩む気持ちをにじませながら、自問自答している今の心境を明かした。「2022年は一応、選手登録をさせてもらった。23年もやるかどうかは、まだ決めていない。やらない方がいいという面もあるし、やった方がいいという面もある。ラグビー感やラグビーの体力は、ただ走っただけでは絶対につかない。それ(練習)をやることでレフェリーとしてプラスなので、そのためにやる面もある。でも忙しいし、けがのリスクもあるし…。いい方を選ぼうと思う」
チームや協会への思いも口にした。「今は選ばせてもらえる環境にもあるので、すごく感謝してやれている」。その分、背負う責任の重さも感じている。「(高いパフォーマンスを)見せられなかったら終わり。協会としても一種の賭けじゃないが、駄目だったら他のラグビー選手がレフェリーになる道もなくなるし、僕としてもけじめをつけないといけない。迷惑を掛けるわけにはいけないので、選手だから、初めてだからという言い訳はできない。言い訳するつもりもないし、自信は持っている」
強い覚悟で笛を吹く。
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滑川 剛人(なめかわ・たけひと) 1990年1月1日生まれの32歳。東京都出身。神奈川・桐蔭学園高時代に高校日本代表入り。帝京大ではU20(20歳以下)日本代表に選ばれ、全国大学選手権3連覇に貢献した。12年にトヨタ自動車(現トヨタ)入り。164センチ、72キロで、ポジションはSH(スクラムハーフ)。審判として意識しているのはコミュニケーションを多く取ること。「グレーゾーンが多いスポーツ。僕はこう見えたけど、実際はどうだったと聞いてあげる。それだけで次にいいプレーが生まれる」。課題は英語力で、語学学校に行ったり、外国人選手やスタッフと話したりして勉強しているという。長期留学のプランもある。
(2022年2月7日掲載)