「げたの雪」。自民党内外でこうやゆされたこともある公明党が夏の参院選をめぐり、自民党への強気の姿勢を崩さない。時間切れを理由に相互推薦の見送りを通告し、自民党が翻意を求めても聴く耳を持たない状況だ。集票力の低下、党の変質、細くなった政権とのパイプ…。強気の裏には、公明党のさまざまな事情がありそうだ。(時事通信解説委員長 高橋正光)
参院選で相互推薦見送り
1月15日の地方組織幹部とのオンライン会議で、山口那津男代表は自民党との相互推薦を今回は行わない方針を伝えた。改選定数1の「1人区」を中心に公明党が自民党候補を推薦、改選定数が3以上のいくつかの選挙区で自民党が公明党候補を推薦する選挙協力が始まったのは2016年。前回19年は主に32の「1人区」で公明党が推薦を出し、5選挙区で推薦を受けた。同党は自民党の支援もあり、前回、前々回ともに選挙区の候補者が全員当選を果たしている。
公明党幹部によると、衆院選の影響で参院選の準備が遅れている現状を踏まえ、衆院選直後から自民党側に、相互推薦を決めるよう繰り返し働き掛けた。しかし、茂木敏充幹事長ら執行部が動かなかったため「自民党の推薦なしで参院選を戦う」方針を決めた。当然、支持母体の創価学会と調整した上でのことだ。
一方、自民党には推薦を即決できない事情があった。前回選挙で公明党候補に推薦を出した県連の一部に、「支持者の一部が切り崩された」との不満が残っていたからだ。その筆頭が兵庫。公明党候補の後援会長に県港運協会長が就いたことで、港湾、物流関連などの票が流れ、自民党候補が最下位で滑り込むという冷や汗をかいた。その教訓から今回、公明党候補を推薦することに県連内部で強い反対があったという。
なお、前回自民党で兵庫選挙区の公明党候補のてこ入れに動いたのは、創価学会に太いパイプがある菅義偉前首相(当時は官房長官)だ。学会で選挙を担当していた旧知の幹部と、兵庫での支援の見返りに、学会が広島選挙区で河井案里氏を支援する「バーター」を確認したとされる。
公明党の推薦見送りの決定に驚いた自民党は、遠藤利明選対委員長が慌てて兵庫など5県連を回り、公明党候補への推薦の了解を取り付けた。こうした自民党側の「誠意」にもかかわらず、公明党は「自力で準備を進める」(山口代表)と、方針を変える気配はない。動き出した自民党へのメッセージとばかりに、創価学会は1月27日、選挙の支援に関し、候補者の「所属政党」ではなく、「人物本位」で判断することを再確認し、翌28日の機関紙「聖教新聞」で発表した。
「人物本位」の原則はこれまでと同様だが、改めて確認、発表したことに意味がある。というのは、公明党の選挙で票集めに動くのは各地の学会組織。そして、党が「1人区」の自民党候補に推薦を出せば、学会はほぼ自動的にその候補を支援してきた。「人物本位」の再確認は、「学会の理念に対する理解などを考慮」して、自民党の候補者を選別することを宣言したに等しいからだ。
「三大選挙」の全勝懸け
公明党・創価学会は、衆院選、参院選、東京都議選を「三大選挙」と位置付け、勝利が至上命令。候補者全員が当選した昨年7月の都議選、議席を増やした昨年10月の衆院選を「大勝利」と総括しており、参院選に3連勝が懸かる。また、学会にとって選挙は、集票活動を通じて会員の士気を高めて結束を図るとともに、組織外に学会への理解者「F=フレンド」を増やす重要な機会でもある。公明党は今回の参院選で、前回、前々回と同じ「選挙区7、比例7の計14議席」を確保し、「比例800万票」を目標に掲げる。
一方で、会員の高齢化などで集票力の低下が指摘される。前回参院選の公明党の比例票は過去最低の約653万6000票で前々回から100万票以上減少。昨年の衆院選で比例票は増えたものの、投票率の上昇によるもので、得票率は低下した。現状では、参院選で比例票の減少に歯止めをかけ、改選14議席の維持は簡単ではない。「選別をちらつかせることで、各候補者からこれまで以上に有利な条件を引き出す狙いだろう」。選挙に精通した自民党関係者はこう指摘し、強気の姿勢は「危機感の裏返し」と分析。公明党にパイプのあるベテラン議員は「単独で戦うことで、組織を奮い立たせた方が票が伸び、得策と考えたのだろう」との見方を示す。
実は公明党にとって、これまでの参院選にはなかった不安材料が今回はある。遠山清彦元財務副大臣と太田昌孝元衆院議員の渋谷朗・元政策秘書の事件だ。遠山元副大臣と渋谷元政策秘書は貸金業の登録をせずに、新型コロナウイルス禍で経営が悪化した企業や個人の依頼を受け、日本政策金融公庫に融資を仲介。1000万円を超える手数料を得ていた貸金業法違反罪で昨年末に在宅起訴された。
そもそも公明党は、創価学会の池田大作名誉会長が「庶民の声を代弁する党」として創設した。立党の原点は「大衆」で、「クリーン」を看板の一つとしてきた。コロナで疲弊した「庶民」「大衆」から違法に手数料を取っていた遠山元副大臣らの行為は、立党の精神に反するのは言うまでもなく、党の看板も汚した。山口代表は昨年12月18日の全国県代表協議会で、遠山元副大臣らの起訴を想定したかのように、「誇るべき立党精神を体現する不断の戦いこそ、公明議員の最大の使命だ」と述べ、議員らに自覚を促した。同党は年明けの1月12日、遠山元副大臣を除名処分にし幕引きを図った。
遠山元副大臣は公明党のホープと言われ、将来の代表候補の一人と目されていた。しかし、昨年1月、緊急事態宣言下に東京・銀座の高級クラブに深夜に滞在していたことが週刊文春の報道で発覚。衆院議員の辞職に追い込まれている。同党が「政治の安定」を大義名分に、参院で過半数割れしていた自民党と連立を組んだのは1999年10月。当時、幹部の一人は「ゴルフをすることすら、選挙で応援してくれる学会員さんに言うのがはばかられる」と漏らしたほどだ。
それから20年以上が経過したが、ほとんどの学会員に「銀座のクラブ」は縁のない店だろう。学会婦人部(現在は女性部)を中心に、厳しい批判が渦巻いた。口利きが効果を発揮するのは、公明党が与党だから。「野党時代の苦労を知らない人間が多くなった」。ある党関係者は、長い与党暮らしによる「党の変質」を危惧している。
東京地検特捜部が遠山元副大臣らを略式起訴にはせず、公判が開かれる在宅起訴としたのは、事案の悪質性を考慮してのことだ。逮捕しなかったのは容疑を認めたからとみられる。今後は公判で、遠山元副大臣らの「貸金業」の実態が明らかになり、参院選を控えた公明党にはその都度、ダメージとなるだろう。
封印解いた連立離脱カード
踏まれてもついていくさまをげたに挟まった雪に例えた「げたの雪」。公明党は連立初期、党の理念になじまない政策で自民党に譲歩を強いられたことから、こうやゆされた。小泉内閣で、イラクへの自衛隊派遣を可能にしたイラク復興支援特別措置法が象徴だ。創価学会と協議を重ねた末、「政治の安定」を理由に、それまで批判してきた自民党との連立政権にかじを切った以上、いかなる状況でも「連立離脱」のカードを使えない事情があった。
また、与党に転じたことで党の主張が政策として実現。衆参選挙では、実現した政策を列挙して実績をアピールしつつ、新たな目玉政策を掲げて学会員以外への浸透を図る戦術も定着した。自民党は公明党の足元を見透かし、強気で交渉に臨んでいた。
民主党政権下の野党時代を挟んで、12年12月に第二次安倍政権が発足して以降も、強気の自民党、「連立離脱」を封印した公明党という基本的な関係は変わらなかった。集団的自衛権の限定的な行使容認で両党が合意し、安全保障法制を成立させたことが、これを裏付ける。ただ、衆院選での自民党の大勝に公明・学会が貢献したことや、政権中枢に菅氏という「理解者」を得たことで、公明党の発言力は増した。消費税率の10%への引き上げに際し、菅氏が財務省をねじ伏せて公明党が求めた食料品への軽減税率が導入されたのが好例だ。
しかし、第二次安倍政権の末期になり、自公関係で「異変」が表面化する。封印していた連立離脱カードを切るそぶりを示したことだ。新型コロナウイルスの感染が拡大した20年4月、国民への現金給付をめぐり、山口代表は安倍晋三首相(当時)に直談判し、「困窮世帯への30万円」から、かねて求めていた「全国民一律10万円」に変更させた。政府・与党内が前者でまとまった直後、当時の二階俊博幹事長が「一律10万円」の必要性に言及したことで公明党が反発。安倍氏が押し切られた。その後、談判の場で山口代表が連立離脱の可能性に言及したことが伝わり、政界に波紋が広がった。
公明党が自民党との協議で「連立離脱」に触れたのは初めて。連立参加から20年超を経て、最強の「カード」をさらした。また、党代表といえども、支持母体である創価学会との相談なしで「連立離脱」に言及するなどあり得ない。学会が「カード」の封印解除を認めたことも知らしめた。一方、「30万円」案を主導したのは、当時政調会長だった岸田文雄首相。岸田氏のメンツはつぶれて存在感は低下。安倍氏の退陣表明を受けた同年9月の自民党総裁選で、菅氏に惨敗するという流れになっていく。
「広島3区」でも首相とぎくしゃく
給付金騒動に続き、衆院広島3区の問題でも岸田首相と公明党とでぎくしゃくした。同選挙区は公選法違反罪で実刑が確定した河井克行元法相の選挙区。19年の参院選広島選挙区で案里氏を全面支援した公明・学会は事件に激怒し、次期衆院選の広島3区には公明党が候補者を立てることを主張したが、自民党広島県連が譲らず調整が難航した。広島は岸田首相の地元。自民党関係者によると、公明側から「他の自民党候補への影響」をちらつかされ、広島県連は要求を受け入れたという。岸田首相は2回にわたり、公明党から煮え湯を飲まされたことになる。わだかまりが残っていないかは分からない。
昨年10月の岸田政権の発足に伴い、菅、二階両氏は非主流となり、自民、公明両党間のパイプは一気に細くなった。こうした状況下、公明党は参院選をめぐり、強気の態度に出た。山口代表が連立離脱をちらつかせて「一律10万円」を安倍氏にのませた当時も、政権内での主導権争いの結果、安倍氏側近の今井尚哉首相補佐官(当時)がコロナ対策を取り仕切り、菅氏は一歩引いていた時期でもある。
菅氏の力が低下すると公明党が強硬になるのは単なる偶然? それとも、菅氏と公明・学会が水面下で連携している? 真相は不明だが、菅、二階両氏の周辺からは「公明党・創価学会の動きを軽く見ない方がいい」と危惧する声が聞かれる。自民党で伝統的に、公明・学会と関係が深かったのは旧田中派の流れをくむ派閥の政治家で梶山静六元官房長官、野中広務元幹事長、青木幹雄元参院議員会長らが代表例。梶山、野中両氏の薫陶を受け、竹下派を引き継いだ茂木氏はこれに当てはまるが、公明・学会とのパイプ役として有効に機能しているようには見えない。
岸田首相は2月8日、山口代表を官邸に招き、約1カ月半ぶりに昼食を取りながら懇談した。参院選も話題になったようだが、終了後に記者団から相互推薦見送りの方針に変更がないかを問われた山口代表は言い切った。「繰り返し述べてきた通り。変わらない」。夏の参院選が終われば、最長3年間は補選を除き国政選挙はない。岸田首相はこれを乗り切れば、長期政権が視野に入る。一方、公明党にとって「3連勝」か「2勝1敗」で終わるかは、会員・支持者の士気にかかわる。冷ややかな関係のままか、関係を修復するのか。岸田首相、公明党の双方とも、どちらが参院選にプラスかを考えながら、間合いを図っていくことになるだろう。
(2022年2月15日掲載)
【解説委員室から】