北京五輪決勝で日本破る
失意の一投から4年。逆境を乗り越えて戻ってきたリンクで、笑顔の花を咲かせた。北京冬季五輪のカーリング女子決勝は英国がロコ・ソラーレの日本を10―3で破り、今大会の英国勢唯一となる金メダルを獲得した。2018年平昌五輪の3位決定戦と同じ顔合わせとなった一戦。当時、最終投を決められずに敗れた英国のスキップ、イブ・ミュアヘッドは、悩まされ続けてきた悪夢を振り払った。昨季の世界選手権で8位に沈んでから躍進した背景には、常識にとらわれない革新的なチーム編成システムがあった。(時事通信ロンドン特派員 青木貴紀)
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表彰台の一番上に立ったミュアヘッドは国歌を聴きながら、そっと目を閉じた。脳裏に、4年間の苦しい日々がよみがえったのかもしれない。目を開き、涙がこみ上げる。演奏が終わると、潤んだ瞳を手でぬぐった。「夢がかなった。私たちはオリンピックチャンピオン。正直、一生忘れられない瞬間になった」。テレビインタビューに晴れやかな表情で誇った。
1次リーグは5勝4敗で日本、カナダと並び、ドローショットチャレンジ(DSC)の結果により3位で通過。準決勝は平昌金メダルのスウェーデンを相手に第1エンドで4点を失いながら、延長の末に12―11で競り勝った。初めて立つ金メダルを懸けた舞台で再び日本と対戦する巡り合わせは、運命に導かれたドラマのようだった。
決勝は第1エンドに2点を先取。不利な先攻の第5エンドに1点を挙げて4―1と主導権を握り、第7エンドには一挙4得点。第9エンドに2点を加えたところで、日本が相手の勝ちを認める「コンシード」。ミュアヘッドは日本のメンバーと握手や抱擁を交わして健闘をたたえ合った後、両手を高々と突き上げ、メンバーと笑顔で肩を寄せ合った。
革新的な選抜システム
苦悩の始まりは平昌五輪の3位決定戦だった。有利な後攻で迎えた4―5の第10エンド。円心に最も近い石は英国、2番目は日本という状況で、ミュアヘッドは最終投で果敢に2点を取りにいった。しかし、狙い通りにはいかず、日本の石が円心に吸い寄せられて敗戦。責任を背負い込み、「今でも思い出す。ずっと頭から離れない」とショックを引きずった。18年には股関節の手術も受けた。
カーリングは固定した4~5人のメンバー構成でチームごとに活動し、国内選考を勝ち抜いたチームが代表になるのが一般的だ。石の投げ方、作戦の組み立て方、情報共有の方法などはチーム単位で異なる決めごとや特徴があり、コミュニケーションと信頼関係が重要になるためだ。英国カーリング協会は21年4~5月の世界選手権で北京五輪切符獲得を逃したのを機に、この常識を覆す手を打った。9人の代表候補選手を選び、その中から編成する「スクワッド・システム」を導入した。
9人は毎週異なるさまざまな組み合わせで練習や大会に参加した。同協会によると、ミュアヘッドは「もちろん毎大会違うメンバーで戦うのは大変なこと。毎日がチャレンジ。私は挑戦を楽しんでいる」と語り、この新しい方式を受け入れた。激しい競争を勝ち抜き、相性も最適な「オールスター」とも言える5人。17年夏にスコットランドに完成したカーリング専用施設「ナショナル・カーリング・アカデミー」を拠点に最先端の科学、医療、栄養など手厚いサポートを受け、昨年11月の欧州選手権で優勝。メンバーのうち平昌五輪に出場したのはミュアヘッドただ一人にもかかわらず、数カ月で世界トップに上り詰めた。
「ジェットコースターのような旅」
ミュアヘッドは初めて五輪に参加した10年バンクーバー大会で、19歳ながらスキップを務めて7位。14年ソチ大会は銅メダルを手にした。4度目の五輪挑戦となった今大会。心に傷を負いながらも諦めずに立ち上がり、ひたむきに続けた努力は報われた。
英メディアに対し、「チーム全体にとって間違いなくジェットコースターのような旅だった」と振り返り、「彼女たちの強さがなければ、この夢はかなわなかったでしょう。私たちが一緒になれば、とてもとても強いチームになる。それを証明できた」とメンバーへの感謝を口にした。
カーリング女子で英国の優勝は、02年ソルトレークシティー五輪以来20年ぶり。北京五輪の開会式で旗手を務めたミュアヘッドは、閉会式では金メダルを首からかけてうれしそうに母国の小旗を振った。英国の主役となった31歳。心の中に抱えていた悲しみは、輝きに彩られた幸せな瞬間の数々に塗り替えられたに違いない。
(2022年2月23日掲載)