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「開拓者」石田正子、不惑を超えて スキー距離の第一人者が北京で5度目の五輪

5度目の冬季五輪で奮闘

 ノルディック王国のノルウェーなど欧米勢が上位をほぼ独占するクロスカントリー(距離)スキーの国際大会で、約20年にわたって奮闘してきた。41歳にして、北京冬季五輪で自身5度目の五輪出場を果たした石田正子(JR北海道)。日本女子のエースの歩みは、「開拓者」という表現がまさにふさわしい。(時事通信運動部 山下昭人)

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 北京五輪では女子の15キロ複合、10キロクラシカルで、ともに日本勢最高の27位。20キロリレーは11位だった。大会最終日の20日には、30キロフリーに臨む。

 石田が残してきた実績は「日本勢初」と形容されるものが数多い。2010年バンクーバー五輪30キロクラシカルの5位入賞、09年リベレツ世界選手権団体スプリント(夏見円とのペア)の4位入賞は、二つの大舞台での日本選手最高成績。09年3月のワールドカップ(W杯)では3位に入り、長距離種目で日本人初の表彰台に立った。距離W杯で2度の表彰台も石田だけだ。W杯出場が20季を超え、昨季こそ途切れたものの毎シーズン1桁順位を記録してきた。

欧州で活動、新境地も

 11年には練習環境の充実を求めてフランスを拠点に活動。14年ソチ五輪後はノルウェーのプロチームと契約し、長距離の国際シリーズ戦「スキー・クラシック」に参戦するなど、競技成績以外でも新境地を開いてきた。W杯にはない40キロ超のレースで優勝も経験。「何でもありなのが楽しい。(レースに賭けられる)オッズが決まっていて、この前の私は5番目でした」などと楽しそうに振り返っていた。

 国際大会で活躍した夏見や福田修子、男子の恩田祐一といった近い世代の有力選手が現役を退いていく中、最後に残った石田は挑戦を続ける。不惑を迎えても第一線に立っているとは「全然思っていなかった」。年齢を重ねても一定の競技力を保てていることについて「何をやったらもう少しうまくいける、という感応力が人よりいいのかもしれない。これをやった方がよくなるかも、というものを見つける能力というか…」。頭の中を思い巡らしながら語る。

並外れた負けん気の強さ

 オホーツク海にほど近い人口2万人弱の北海道美幌町出身。実家はタマネギ、ジャガイモ、ビート、小麦などを栽培する農家で、農地面積は「北海道では平均的」(石田)という東京ドーム約5個分の22万平方メートルに及ぶ。旭川市の旭川大高スキー部の監督だった石川英樹さん(56)は、3年生時の進路相談で石田から「農業を継ぎたい」と告げられて慌てたことを覚えている。「お姉さんが2人とも結婚して町外へ出ていて、正子は『農家を継ぐのは私しかいない』と」。当時から石田は高校のタイトルを総なめにするほどの実力者。石川さんは「世界を目指せるから頑張れ」と声を掛け、日大進学を後押しした。

 並外れた負けん気の強さがあり、オーバートレーニングに陥ってしまったこともある練習の虫。そんな石田が大きく飛躍したのは、初の五輪経験となった06年トリノ大会の後からだ。石川さんによると、石田が「なぜ日本選手のふくらはぎは(外国勢に比べて)太いのか」と問題提起したのがきっかけだった。

疲れを知らない職人

 海外のトップ選手は太もも裏の筋肉と、すね部分の脛骨(けいこつ)筋を連動させて走っていた。一方、日本選手は太もも前側の大腿四頭筋とふくらはぎ部分の筋肉に頼った走法がブレーキにつながっていると分析した。石田は腰の位置を高く維持したフォームで、特に上り坂で楽に進めるこつを習得。ポールをリズム良く突いて軽々と駆け上がる姿は、疲れを知らない四つ足動物のようにも見えた。「自分を見て何が足りないか、何をしたら少しでも速くなれるかを自発的に考えなければいけない。コーチから言われたことをやっているだけでは、強い集団には入っていけない」。そう口にしたことがある石田には、職人のような趣も漂う。

 スキー各種目の中では競技人口が世界的に多い距離。日本選手は他国より競技環境面で劣り、厳しい戦いを強いられるのが常だ。近年は「もう十分頑張ったんじゃないかと思う」と漏らしたこともあったが、なお持ち続ける向上心と周囲の期待、そして後を託せる若手の台頭を待ち望む気持ちが、どうやら石田を雪面から離さない。「10年前とかだったら、自分の成績をどうやったら出せるだろう、というのがモチベーションだった。今は応援してくれる周りの人が喜んでくれればいい。あとは下が出てくるまでのつなぎ、みたいな」。5度目の大舞台に立った第一人者が、次に目指すものは何になるだろうか。

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 石田 正子(いしだ・まさこ) 北海道出身の41歳。冬季五輪に2006年トリノ大会から5大会連続出場し、10年バンクーバー大会30キロクラシカルで日本勢史上最高成績の5位入賞。10度出場した世界選手権では09年大会の団体スプリントで4位入賞を果たした。W杯初出場は01年で、日本勢でただ一人、2度の表彰台(3位2度)を経験している。(了)

(2022年2月18日掲載)

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