北京五輪フィギュアスケート男子シングルフリーの演技から4日たった14日、羽生結弦(ANA)が北京のメインプレスセンターで記者会見し、北京での戦いを振り返った。殺到する取材依頼にまとめて応じる趣旨の会見で、フリーで跳んだ4回転半ジャンプを「僕の中では最高点にたどり着けたと思っている」と語り、前日練習で痛めた右足首の状態なども明かした。
素晴らしかったチェン、滑りやすかったリンク
◆冒頭発言
羽生「質問の前に僕から。このような形の中で正直こんなに集まってくださると思わず、びっくりしていますが、まだバブル内で(新型コロナウイルスの)陽性者が出ている中での五輪で、自分がミックスゾーン等で取材をしていただく時にどうしても密になってしまうので、このような会場で質疑応答させていただくことに同意しました。
質問が来ないかもしれないので言わせていただきたいのは、まず金メダルを取ったネーサン・チェン選手(米国)は本当に素晴らしい演技だったと思うし、五輪の金メダルって本当にすごいことなんです。僕も目指してずっと頑張ってきましたし、ネーサン選手も努力したんだと思います。4年前の悔しさがあって、克服して今があって、本当に素晴らしいことだと思います。
そして大会関係者の方々、ボランティア、氷を作ってくださった方々にも感謝申し上げたいです。ショートプログラム(SP)で氷に引っかかる不運なミスで悔しかった部分もありますが、本当に滑りやすくて跳びやすくて気持ちのいいリンクでした」
競技を終えてから考えたこと
◆質疑応答
-演技を終えてからきょう初めてリンクで練習した。この間の気持ちの変化は。
「いろんなことは考えました。4回転半に挑んだこと、成功し切れなかったこと、今まで頑張ってきたこと、道のり、その価値とか結果としての価値とか。けどやっぱり足首が痛いのがあって、きょうは練習であまりジャンプしちゃいけないと思っていたんですけど、痛み止めもかなり強いものを許容量以上に飲んで、それでもここで滑りたいと思って滑らせていただきました。この間、今までのことも考えて、僕はいろんな人に支えられているんだなと。足首もまだ歩くのも痛いですが、たくさんケアして最大限治療してくださったり食事や栄養もケアしていただいたり、支えていただいているので、それにもっと感謝したいなと思わされた3日間でした」
-フリーの後、観客席にいつもより長くおじぎをして、氷にも触れていた。
「実際に足を運んでくださった方々がいて、自分の演技自体が勝敗としてよかったかと言えばベストではなかったので、それでも残念だという雰囲気に包まれなくて、大きな拍手をいただいて感謝したいなと思ったのと、カメラの向こうでたくさんの方々が応援してくださって、そういう方々にも感謝したいなと。いつも氷にあいさつはするんですが、このメインリンクで競技するのは最後だなと思って、やっぱりこの氷、好きだなと思って感謝していました」
普通の試合なら棄権していた
-フリーの後、今後4回転半をどうするかと聞かれ、時間をくださいと言ったが。
「どうなんでしょうかね。まだ自分の中でまとまってはいないです。ただ、今回これを言うことが正しいのか分からないし、何か言い訳くさくなっていろいろ言われるのも嫌だなと、何かしら言われるんだろうなと怖い気持ちもあるんですけど、事実なので。前日の練習で足を痛めて。4回転半で思い切り、自分の中でも一番に締めて、片足で降りにいってその時に捻挫しました。
思ったよりひどくて普通の試合なら完全に棄権していたと思うし、今もドクターからは10日間は安静にと言われているくらい悪くて。(フリー)当日朝の公式練習もあまりにも痛かったのでどうしようかと思ったんですが、注射を打ってもらって、6分間練習の直前、10分前ぐらいに出場することを決めました。
痛みを消してもらえる感覚や、けがをして追い込まれたとか、SPも悔しくて、いろんな思いが渦巻いた結果としてアドレナリンが出て、自分の中でも最高の4回転半ができたと思っています。
きっとジャンプにはいろんな技術があって、4回転半の習得にあたって研究して自分のアクセルにつなげようと思ったんですけど、やっぱり自分のジャンプは曲げたくないというか、あのジャンプだからきれいだと言ってもらえるし、僕はあのジャンプしかできないし、だから思い切り高い4回転半で思い切り早く締めることを追求しました。その結果として僕の中では最高点にたどり着けたと思っているし、回転の判定はいろいろありますが、僕の中では納得しています。満足した4回転半だったと」
みんなが一つになるきっかけに
-きょう滑ろうと思った理由と、滑った感じは。
「滑っちゃいけない期間だったんですが、どうしても滑りたいと思って。スケートのことを嫌いになることはたくさんあるし、フィギュアスケートって何だろうとよく思うし。
ただきょう滑って、今まで習ってきたことや小さい時にやっていたことや、いろいろやってみて、うまくなったなと思ったり、それが楽しかったり見ていただくのが気持ち良かったり、僕は僕のフィギュアスケートが好きだなと思えた練習でした。
またここから練習していっていろんな感情が湧いてくるかもしれないし、ジャンプを跳びたいと思いながら練習していたんですけど、靴から感じる氷の感触を大切にして滑りたいと思っています」
-今回も被災者に力を与えてくれた。
「いろんな方からいろんな声をいただいて、『おめでとう』にはならなかったかもしれないですが、『よかった』という声をいただいて幸せです。僕は皆さんのために滑っているところもあるし、僕自身のために滑っているところももちろんある中で、最近フィギュアスケートと向き合っていますが、何かをきっかけにみんなが一つになることがどれだけ素晴らしいか東日本大震災から学んだ気がします。
つらい犠牲の中でのことですが、僕の演技が、皆さんの心が一つになるきっかけになっていたら幸せだと思うし、それが災害とかではなくてもっと幸せな方向へのきっかけならうれしいなと思っています」
誰もがしている「挑戦」、自分自身を認めてあげて
-王者として守るのではなく挑戦すると言ってきたが、「挑戦」とは。
「別に王者だからじゃなくて、みんな生活の中で何かしら挑戦していると思います。それが(僕のように)大きいこと、目に見えること、報道されることの違いだけであって、それが生きることだと思います。
守ることだって挑戦だと思うんです。守ることだって難しいと思います。大変なんですよ、守るって。家族を守るのも大変だし、何かしらの犠牲や時間も必要だし。挑戦じゃないことなんて存在しないんじゃないかと。
それが僕は4回転半だったり五輪につながっていたり。僕も挑戦を大事にしてきたけど、皆さんもちょっとでもいいから自分は挑戦していたんだなと、羽生結弦はこんなに褒めてもらえているけど、実は褒められることなのかなと、自分のことを認められるきっかけになったらうれしいなと思います」
9歳の自分に初めて褒めてもらえた
―五輪の演技を冷静に振り返って満足度は。これから何をモチベーションにするか。
「冷静に考えてSPははっきり言って、すごく満足しています。SPって最初のジャンプでミスをしたり何かしらトラブルがあったり、氷に嫌われてガコッてなることも転倒やミスにつながらなかったとしてもたまにあるんですよね。でもその後も崩れず、ちゃんと世界観を大切にしながら表現したいことプラス、いいジャンプを跳べた点ではすごく満足しています。
そしてフリーは、サルコージャンプをミスしたのは悔しいし、4回転半もできれば降りたかったなと正直思いますが、上杉謙信というか、目指していた『天と地と』の物語というか自分の生きざまというか、それにふさわしい演技だったんじゃないかなと。得点は伸びないですけどね。
どうしてもシリアスエラーが存在して、ルールにのっとるとPCS(演技構成点)は出ないので。どんなに表現がうまくて世界観を表現したいと思って、それが達成できたと自分では思っても(得点が)上がらないのは分かっているので、冷静に考えたら悔しいかもしれないですが、僕はフリーもプログラムとして満足しています。
モチベーションについては……、うーん、今まで4回転半を跳びたいとずっと目指していた理由は、僕の心の中に9歳の自分がいて、あいつが跳べって言っていたんですよ。で、ずうっと『お前、下手くそだな』って言われながら練習していて。でも今回の4回転半は、なんか褒めてもらえたんですよね。一緒に跳んだというか。
ほとんどの方は気づかないと思うけど、実は同じフォームなんですよ、9歳の時と。(自分が今は)ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだんですよね。それが自分らしいなと思ったし、何より4回転半をずっと探していく時に、最終的に技術的にたどり着いたのが、あの時のアクセルだったんですよね。
ずっと壁を登りたいと思っていろんな方々に手を差し伸べてもらって、きっかけをつくってもらって登ってこられたと思っているんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だったなと思って。で、最後にそいつの手を取って、一緒に登ったなという感触があって。
そういう意味では『羽生結弦としてのアクセルは、やっぱりこれだったんだ!』となっている。納得できているんですよね。だから、モチベーションがこれからどうなるかは、まだ4日なので分からないですけど、今の気持ちとしては、あれがアンダーだったとしても転倒だったとしても、いつか見返したときに『やっぱ羽生結弦のアクセルって軸が細くて、ジャンプ高くて、やっぱきれいだね』って思える、誇れるアクセルだったと思っています」
4回転半を降りたい気持ちも
―中国のファンに一言。これが最後の五輪になるのか。
「最後かと聞かれたら、ちょっと分かんないです。へへへ。やっぱ五輪って特別だなと思いましたし、けがをしていても立ち上がって挑戦するべき舞台というのは、フィギュアスケーターとして他にはないので。すごく幸せな気持ちになって、また滑ってみたいなという気持ちはもちろんあります。
こうして2万件のメッセージや手紙をいただいたり、大会のボランティアもすごく歓迎してくださったり、中国のファンも含めてすごく歓迎してくださっているのも感じて演技するのは幸せだなと思って滑りました。そんなスケーター、簡単にいないと感じますし、うん、『羽生結弦でよかったな』と思いました」
―次の五輪は。近い将来を含め今後に向けて。「ゴール」は。
「うーん、ゴール…。4回転半を降りたい気持ちは少なからずあって、それとともに自分のプログラムを完成させたい気持ちはあります。ただ、自分の4回転半、完成しちゃったんじゃないかなと思っている自分もいるので、フフフ、これから先、どういう演技を目指したいとか、どういうふうに皆さんに見ていただきたいかとか、いろんなことを考えています。
次の五輪はどこでやるのかとか、まだ自分の中で把握できていないし、混乱しているんですけど、これからも羽生結弦として、羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら、究めていけたらと思います」
これからも五輪王者として
―五輪前に「王座を失うのが怖い」と話していた。今はどんな感情か。
「そうですね。はあ、ハハハ(左上を見る)。これは泣かせに来るやつ(質問)ですかね。いや、(タイトルは)とても重かったし、重かったからこそ自分が目指しているフィギュアスケートと目指している4回転半を常に探求できたと思います。
まずソチ五輪で優勝していなかったら、報道の数も違ったと思います。そこで『羽生結弦というスケーターがいるんだ』って、『パリの散歩道』とか『ロミオとジュリエット』の演技を見ていただき、注目していただけるきっかけにもなったし、それから応援してくださった方もたくさんいたと思います。
そして平昌五輪で『SEIMEI』と『バラードの1番』をやって、また『やっぱ羽生うまいじゃん』とか『これからも応援したいな』とか思ってくださる方もたくさんいらっしゃって、だからこそ今があるんだと思っています。
3連覇は消えたし、重圧からは解放されたかもしれないけど、僕はやっぱり五輪王者だし、2連覇した人間だし、誇りを持って胸を張って、後ろ指を差されないように、あしたの自分がきょうの自分を見た時に胸を張っていられるように、これからも過ごしていきたいなって思っています。ありがとうございます」(2022.2.14掲載)