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最後まで世界との勝負にこだわった福島千里 忘れられない熱を帯びた言葉

速さ求め続けた競技生活

 福島千里(セイコー)が現役を引退した。遠かった世界への扉をこじ開け、陸上の日本女子短距離界を10年以上にわたりけん引した希代の名スプリンター。晩年は故障に苦しみ、スパイクを脱ぐ日は近いと感じていたが、いざ正式に決まると輝かしく彩られた一時代が終わりを迎える寂しさがこみ上げる。テレビインタビューで見せるほんわかとした、どこか「天然」なイメージとは対照的に、競技に対してはとことんストイックで貪欲に速さを追い求めた。限界まで走り抜いた33歳。その視線は最後まで世界へ向いていた。(時事通信ロンドン特派員 青木貴紀)

◇ ◇ ◇

 2020年9月。山梨県富士吉田市で行われた記録会を走り終え、福島は泣いた。「日本一を決める大会の土俵にすら上がれないのは、ちょっと考えられない。選手として駄目」。100メートルと200メートルでそれぞれ8度の優勝を誇る日本選手権出場を逃し、「プロ」としてのプライドから厳しい言葉を並べた。悔しさ、もどかしさ、情けなさ―。さまざまな感情がこみ上げ、こらえられなかった。

 五輪は08年北京から3大会連続で出場。11年世界選手権では100、200メートルの両種目でともに日本勢で初めて準決勝進出を果たした。日本選手権は16年まで100メートルは7連覇、200メートルでは6連覇。10年にマークした100メートルの11秒21、16年に出した200メートルの22秒88は今も日本記録として刻まれている。

 北海道・帯広南商高時代までは同学年のライバルで、良き友人でもある高橋萌木子さんの陰に隠れ、全国中学校体育大会や全国高校総体での優勝実績はない。高校卒業後、北海道ハイテクACに入って才能が大きく花開いた。切れ味鋭いピッチで風を切り、軽やかに駆け抜ける姿は見る者を魅了した。雪国のハンディを乗り越えて、世界への階段を上っていった。

目指した東京五輪の個人出場

 「次のチャンスなんかない」。ある時、福島が珍しく熱を帯びて言ったこの言葉が忘れられない。練習の一本、試合の1レースに真剣に向き合い、全身全霊で臨んだ。日本のエースとして引っ張ってきたリレーに対しても同じ。国内でなかなか自身に続くスプリンターが現れず、世界に目を向けない若い選手との意識のギャップに、歯がゆさを感じることもあった。

 18年以降は両アキレスけん痛との闘いだった。和らいだと思ったら再び痛くなる。この繰り返しだった。満足いく練習が積めなくなり、無意識にかばってしまう動きが染みついて悩んだ。12秒を切れないレースも増えた。それでも、進化を求める歩みを止めなかった。日本記録更新を本気で目指し続けた。

 結果的にラストシーズンとなった21年。東京五輪を「目指さないわけにはいかない」と言い、個人種目での出場が目標だった。同僚の山縣亮太が男子100メートルで9秒95の日本新を樹立した6月の布勢スプリント。福島はこのラストチャンスで日本選手権の出場権をつかんだ。この時も「日本選手権と言わず、もっと上を目指したい。日本選手権は(東京五輪)最終選考会なのは忘れちゃいけない」と世界との勝負にこだわった。

 心の底から完璧と思える会心のレースはなかったという。短距離は奥が深くて難しい。だからこそ、ゴールが見えなくて興味が尽きない。練習以外の時間も食事も、全てを速くなるために注いできた競技生活。高いプロ意識を保ち続けて追い込んできた自身をねぎらい、たたえてほしい。日本女子初の「10秒台」の夢は、次世代の選手に託して―。

(2022年2月1日掲載)

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