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「声なき声」を書き続けて 紫綬褒章を受章した作家・小川洋子さん

2021年12月02日12時21分

 「博士の愛した数式」や「ミーナの行進」など、卓越した描写力で喪失や欠落をテーマとした独自の世界観を表現し続けている小説家の小川洋子さん(59)が、紫綬褒章を受章した。「100人の人が読んで、100通りの別のものを受け取ってもらえる小説を書きたい」と、30年以上にわたって創作を続ける小川さんが、これまでの作家生活を振り返った。(時事通信大阪支社 小澤一郎)

書くことの目覚めは「アンネの日記」

―創作の原点となったことを教えてください。

 中学生の時に「アンネの日記」を読んで、書くということに目覚めました。アメリカで「The Memory Police」として翻訳された「密(ひそ)やかな結晶」は、「アンネの日記」に対する私のオマージュだった。私の文学の書く根本に触れる特別な作品でした。

―作家として転機になった作品はなんでしょうか。

 「博士の愛した数式」が本屋大賞をいただいたこと。しかも第一回だったので、自分でも本屋大賞って何か、よく分かっていなかったんですが、あの賞をいただいたことで、それまでは、「自分を表現したい、自分を分かってほしい」と自分中心だったのに、「ああそうか、私の書いた本っていうのは本屋さんが読者に届けてくださるから届いてるんだ」という当たり前のことに気付かされました。

 数学者の方に取材したり、資料を調べたりして、いろんな人の手を借りて、まったくゼロから作り上げていった世界なので、ちょっと書き方が変わりました。

 それまでは、「密やかな結晶」もそうですけど、頭の中だけで想像して書いていました。「博士の愛した数式」では外へ出ていろんな人に取材して書いて、世界は自分が思っているよりもうんと広い、自分は一人でこんなにちっぽけだけど、それぞれの人の中に広大な世界が広がっていて、書かれるのを待ってるんだな、ということに気付かされました。

「阪神」という地域に住む意味

―「博士の愛した数式」はプロ野球チームの阪神タイガースへの愛があり、「ミーナの行進」は芦屋を舞台にしています。阪神間に住んでいることが文学に与える影響はありますか。

 岡山の生まれで岡山の風土は身に染みてはいるんですけど、引っ越してきて20年近くたち、阪神間の文化に触れてすごく刺激を受けました。

 「ミーナの行進」は引っ越して来なければ書けなかった作品です。特定の場所と人の名前がちゃんと付いていて、時代が設定されているという、私がやったことがないことに挑戦した作品として印象に残っています。住むようになったおかげです。

―小川さんの言う「阪神間の文化」とはどういうものでしょうか。

 口ではうまく説明できないのですけれど、非常に“こぢんまり”まとまっている。いい意味で“こぢんまり”、小さなコミュニティーで固まっているんですけれど、非常に文化度が高い。そこで完成されている。

 同時に海に向かって世界に開けているという感じがあって、開けていながら非常に成熟した文化も守っている。関東の人から見れば、小さなサークルがいくつもあるという感じですかね。

―「冷めない紅茶」「小箱」「妊娠カレンダー」などでは、人間の奥底に潜む悪意、毒を描いています。

 とりあえず了解し合って、みんな、なんとなくうまくやっているふうを装っているけれども、実は、誰の心の中にも隠しきれない、隠し通しておきたい悪意というものがある。

 そこまで、人間の深い部分に下りていかないと小説を書く意味がない。下りていくとそこに悪意がある場合もあるし、ものすごくピュアな善意がある場合もある。そういうことだと思います。

―「閉ざされた世界」をモチーフとする理由は。

 矛盾が非常に神秘的ですよね。閉じ込められているけど自由、いつもそれを思うのは将棋やチェスです。9×9、8×8の升目の中に、全人生を懸けて宇宙を見るわけですよね。そういう、閉じられているけど自由、アンネ・フランクも閉じ込められているけど、日記を開けば自由というふうな矛盾が、そこに何の抵抗もなく成立してるということは、私にとって非常に文学的だなと思うんです。

 矛盾を矛盾じゃなく、誰にもそれを変だと思うことなく受け入れられるようにできるのが小説だと思いますね。うれしいけど涙が出るとかね。すごく嫌なやつだけど滑稽だとか、そういう矛盾することを両立できるのが、小説として面白いなと思います。

海外でも知られる存在に

―物語を通じてどんなメッセージを届けたいのでしょうか。

 何か届けたいことがあって「これを受け取ってくださいね」と書くのではなく、私が書いたものを一読者が受け取って、その読者がその読者だけの何かを受け取ってほしい。一対一の関係で常にあってほしい。

 100人の人が読んで100人が同じ思いを持つというのではなくて、100通りの違う種類のものを受け取ってもらえる小説を書きたい。

―作品が翻訳され、海外にも読者が広がっています。

 デビューした時を振り返って一番驚いているのが、自分の本が翻訳されて、海外の本屋さんに並んでいるということなんです。まったく想像していませんでした。私だけの力ではなくて、日本語という、本当に世界から見ればささやかな言語を世界の人々に翻訳して届けようという情熱を持った人がいて、私の小説に心にとどめて翻訳してくださる翻訳者がいる。そういうエージェントや翻訳者の人たちの情熱があってこそです。30年前から比べると、そういう動きが活発になって、今、日本文学が世界で読まれるようになった。目立ちませんが、エージェントや翻訳者の人のおかげだなと思います。

―どことも知れない場所を舞台にしているからこそ、海外でも読まれるのでしょうか。

 翻訳してもらおうと思ってそうしたわけではないですが、結果的にいい方向に作用したのかもしれません。

 いずれにしても、フランスに行っても、アメリカでインタビューを受けても、読み方が民族によって、言葉によって異なるということはないですね。まったく一緒です。

 日本人の読者、文芸記者の方々が感じ取って質問してくださることと同じで、「やっぱり言葉の壁というのはいろんな努力によって変えられるんだなあ」と思っています。

そして創作は続く…

―コロナ禍は小説の題材になりますか。

 コロナの時代を小説で表現することは、なかなか難しい。小説は時間の掛かるものなので、この時代を振り返って解釈して、「ああ、こういうことだったのかな」と気付きがあって小説にするには、50年100年掛かるかもしれません。

 今、私が言えるのは、こういうコロナの時代を感じ取ると、「ああやっぱり人間っていうのは、人間だけで生きているんじゃない。目に見えないものとも共存してるんだ」ということです。人間の傲慢(ごうまん)さを知らされて、謙虚な気持ちを持つようになる。その謙虚さというのが私にとっては小説を書く時に必要です。

 そういうふうに、目に見えないもの、いるのかいないのか分からないもの、あるいは人間にとって、いて不都合なもの。それらにふたをするのではなくて、そういう存在もちゃんとあるんだ、生きているんだということを認めるのが小説だと思います。

―今後のテーマは。

 私はもう逃れられないと思うんですよね。「夜明けの縁をさ迷う人々」っていうタイトルの短編集がありますが、まさにその通り、夜明けの縁をさまよいながら行く当てもなく、誰も救いの手を差し伸べてくれる人もない。そういう声なき声すら発することができない人のことを書き続けていくんだろうなあと思います。

 来年、還暦になりますが、それを機に全く違う世界を書こうという気持ちはまったくない。今までと同じことをやり続けていこう、むしろそれでいいんだっていう気持ちになってきました。

―この受章もそうでしょうか。

 そうですね。受章によって何かが変わるとか、何かの区切りになるのではなくて、今までずっと淡々と描き続けてきた日常の中の一つの出来事という感じです。

―声なき声を発することもできない人々を書き続けることを、自分のライフワーク、創作の原点とする理由は。

 たぶん私だけじゃないと思うんです。小説という分野そのものが、そういう人のためにあるんじゃないかと、気付いたんですよね。ですから、自分がそういう人だけを選んで題材、テーマにしているというよりは、小説そのものがそういう人たちのためにあるんじゃないかなと思います。

◇ ◇ ◇

小川 洋子(おがわ・ようこ) 1962年、岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。88年、「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞。91年に「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞。2004年に「博士の愛した数式」で読売文学賞、本屋大賞、06年に「ミーナの行進」で谷崎潤一郎賞。

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