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セピア色の聖火 リメンバー1964
1964年東京五輪で日本選手団主将を務め、体操男子の団体総合2連覇に貢献した小野喬さん(83)は得意種目から「小野に鉄棒(鬼に金棒)」と称された名選手。開会式の選手宣誓の思い出や、2020年東京五輪・パラリンピックへの期待を聞いた。(2014.11.27)
1964年東京五輪から3大会連続でマラソンに出場し、メキシコ五輪で銀メダルを獲得した君原健二さん(80)が3月27日、聖火ランナーとして福島県須賀川市を走った。同市は、共に東京五輪に出場した「戦友」、円谷幸吉さんの故郷。「幸吉さんと一緒に」。メキシコ大会前に自死した円谷さんを思いながら聖火をつないだ。 同学年の2人は…
56年前に日本を熱狂させた主役。前回1964年の東京五輪で金メダルを獲得したバレーボール全日本女子の一員だった井戸川(旧姓谷田)絹子さん(80)が4月、大阪府池田市で2020年東京五輪の聖火リレーに参加する。「東洋の魔女」と呼ばれた最強チームのエースアタッカーが、当時と現在を語る。(2020.2.25~27)
◇歯5本多く、高い骨密度 オリンピアンの体力は年齢を重ねても衰えないのか-。日本体育協会(日体協)は1964年東京五輪に出場した約380人の代表選手を対象に、50年以上にわたって健康と体力の変化を継続的に調査してきた。
東京の抜けるような青空に5機の戦闘機が五輪マークを描いた。1964年10月10日、東京五輪の開会式。「最高の気分だった」。航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」は戦後日本の復興を世界に印象付けた。日本時間8日の開催地決定を前に、元パイロットは2度目の東京五輪に期待を寄せる。 ブルーインパルスは60年に空自浜松…
1964年東京五輪の聖火リレーは、米国統治下だった沖縄でスタートし、戦火の爪痕が残る本島全域を巡った。全国最初の走者を務めた沖縄国際大名誉教授の宮城勇さん(78)は、当時の大歓声を「本土並みの社会や生活の到来を願う声だった」と振り返る。3月25日から始まる聖火リレーへの2度目の参加を前に、「57年前とは違い、心穏やか…
【本文は退位前の2019年1月29日配信】 皇太子時代の1964年、東京五輪の翌月に開催されたパラリンピック東京大会で名誉総裁を務めた天皇陛下は、その後も障害者スポーツの発展に熱意を傾けられた。毎年秋、国民体育大会の後に全国障害者スポーツ大会が開催されるようになったのも、陛下の提案がきっかけだった。
1964年東京五輪を成功に導くため、当時の大会組織委員会が気をもんだのが、外国メディアへの対応だった。世界各国から集まった報道関係者は約2000人。大会の運営に厳しい目を持つ記者や放送関係者をうならせようと、一流の料理人たちが腕を振るった。(2014.7.22)
1964年10月24日、夕闇迫る国立競技場。東京五輪が幕を閉じようとしていた。閉会式を生中継するNHKの片倉道夫ディレクターらスタッフ約20人は、フィナーレを伝える興奮を胸にしまって準備万端。整然と選手団が入場してくるはずのシナリオだった。ところが、程なく始まった行進の光景は、全くの想定外。選手たちは国・地域の別を問…
日本が戦後復興からその後の高度経済成長へと向かう1964年に開かれた前回東京五輪。人々はそれぞれに自分なりの場面でその熱狂に触れ、時代の空気とともに深く記憶に刻み込んだ。
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