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【まとめ】元首相・中曽根康弘氏 死去
政府は27日の閣議で、11月29日に死去した中曽根康弘元首相を従一位に叙するとともに、最高位の勲章である大勲位菊花章頸飾を贈ることを決めた。中曽根氏は生前、従六位・大勲位菊花大綬章を受けている。
自民党役員会に臨む安倍晋三首相(中央)、二階俊博幹事長(左から2人目)ら=2日午後、国会内
11月29日に死去した中曽根康弘元首相の通夜が2日夜、東京・大塚の護国寺でしめやかに営まれた。安倍晋三首相、自民党の二階俊博幹事長ら約300人が参列した。
中曽根康弘元首相
戦後政治の総決算を掲げ、日米関係の強化や行政改革で実績を残した中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前、死去した。101歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男弘文(ひろふみ)氏。後日お別れの会を開く予定。
中曽根康弘首相(左から2人目)が自民党総裁選を争った3氏とゴルフ。左から宮沢喜一蔵相、1人おいて竹下登幹事長、安倍晋太郎総務会長(肩書は当時)=1987年10月、東京都八王子市の八王子カントリークラブ
自民党の派閥全盛時、小派閥(中曽根派)の領袖(りょうしゅう)にすぎなかった中曽根康弘元首相は、政権に就く過程でしばしば変わり身の早いところを見せ、政界の「風見鶏」とやゆされた。一方で、政権基盤の脆弱(ぜいじゃく)さを国民の支持で補おうと、政治にパフォーマンスを取り入れる先駆けとなった。
第2次臨時行政調査会の土光敏夫会長(左)と会談する中曽根康弘首相(肩書は当時)=1982年11月、東京・永田町
中曽根康弘元首相は、自民、社会両党のもたれ合いの政治に象徴される「55年体制」の時代に、実力者として君臨した最後の政治家だった。内政面では行財政改革、外交面では日米同盟強化で実績を残した。政策決定に際しては、自ら強い指導力を発揮する、トップダウンの手法を好んだ。
首相在任最後の記者会見をする中曽根康弘首相(肩書は当時)=1987年11月、首相官邸
中曽根康弘元首相の訃報を受け、政界から29日、人物や業績をたたえる声が党派を超えて相次いだ。大島理森衆院議長は記者団に「時代を読み取る深い洞察力、確固たる信念と志を持ち、それらを実現するため柔軟かつ大胆な政治手法を振るわれた偉大な政治家だった」としのんだ。
安倍晋三首相は29日、中曽根康弘元首相の死去を受け、「深い悲しみを禁じ得ない。国民と共に心から哀悼の意を表する」との談話を発表した。首相は東西冷戦や日米貿易摩擦など中曽根政権時の状況に言及。「厳しい内外情勢に置かれた時期に5年間にわたり首相の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たってかじ取り役を果たされた」と功績を…
小泉純一郎元首相は1日、中曽根康弘元首相の死去に関し、「いろいろな改革を成し遂げた」としのんだ。自身の首相在職時、衆院比例代表の「終身1位」だった中曽根氏に引退勧告したことについては、「選挙の審判を受けないで国会議員をやっていいのかと疑問に思った」と理由を語る一方、「嫌なことを言いに行くのは気が重かった」と当時の心境…
中曽根康弘元首相の死去を受け、親交のあった読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆が29日、同社を通じ談話を公表した。
記者団の取材に応じる日本商工会議所の三村明夫会頭=29日午後、東京都千代田区
国鉄の分割・民営化などを断行した中曽根康弘元首相の死去について、経済界からリーダーシップを高く評価する声が相次いだ。経団連の中西宏明会長は、日米同盟強化や行財政改革での成果は「今なお変わらぬ、わが国の内政外交の基軸だ」と称賛した。
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