ホワイトハウスの写真2006年04月20日【EPA=時事】
筆者は二〇〇〇年夏にワシントンに赴任した際、国家安全保障会議(NSC)の副報道官にホワイトハウスの内部を案内してもらった。地下の柱に黒焦げの部分があるのが目に留まったので尋ねると、副報道官は笑いながら、第二の独立戦争と呼ばれた英国との「一八一二年戦争」(一八一二~一四年)の最中に、ホワイトハウスが英軍の焼き討ちに遭った時の名残であると話してくれた。
当時の第四代大統領ジェームズ・マディソンは、英軍の進撃を知って、妻と共に隣のバージニア州に退避した。今でこそ、唯一の超大国にのし上がった米国だが、独立から間もない時期には、国家の存立が脅かされるほど軍事力がひ弱で、防御は手薄だった。今から思えば、ほほ笑ましいエピソードである。
それから長年、ホワイトハウスが直接的な脅威にさらされる事態はなかった。二〇〇一年九月十一日に米国を襲った同時多発テロが、国民に大きなショックを与えた理由の一つは、ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントン郊外の国防総省だけでなく、まかり間違えば、ホワイトハウスも米英戦争以来、初めて直接的な攻撃を受ける可能性があったからである。
あの時、ブッシュはフロリダを訪問中でホワイトハウスにはいなかった。チェイニー副大統領やライス大統領補佐官(国家安全保障担当=現在は国務長官)らが、ホワイトハウスの地下に大慌てで避難し、万一に備えた。その日の夕方、ブッシュは大統領専用機の飛行は危険だとするシークレットサービスの進言を退け、空路ワシントンに戻った。「戦時大統領」になる覚悟で国民に団結を呼び掛ける場所は、やはりホワイトハウスでなければならなかったのだろう。
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