黒人の父と白人の母を持ち、タスティンで生まれ育ったジョーンズさんは、地元の高校を卒業したのち、名門カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学び、今はロサンゼルスのエンターテイメント業界で働いている。
2012年に17歳の黒人青年が自警団員に射殺され、14年には2人の黒人男性が警察の手で亡くなったことがきっかけで全米に広まった、ブラック・ライブズ・マター運動に参加してきた。
「歴史の正しい側にいるというのは素晴らしい気分」だとジョーンズさんは参加者に語りかけた。「こうして人々が暴力に対して立ち上がったことは、いつか教科書にも載るはずです」
フロイドさんと、3月にケンタッキー州の自宅で警察に射殺された26歳のブリオナ・テイラーさんのことを忘れてはならないと、二人の名前を群衆と共に叫んだ。さらに、「ブラック・ライブズ・マター」「正義無くして平和は無い」といった黒人差別への抗議スローガンを連呼。
そして2時間近く、ジョーンズさんに加えて5人の若者が、黒人がわずか2%のオレンジ郡で育った経験を語った。
「 私はずっと『あの黒人の女の子』として生きてきました」と20歳の黒人女性は話した。「いつも『髪の毛を触ってもいい』とか『どこから来たの』と聞かれるんです。黒人が攻撃的だという偏見もあるので、目立たないように振る舞ってきました」
「他人の目ばかりを気にして、それに合わせて生きていた。でもずっと怒りを抱えていました。別の誰かになりたかった」
途中で拡声器が切れることもあったが、怒りに満ちた彼女の叫びはマイクなしでも響き渡った。
「もし私に同情してくれるというのなら、変化を起こしてください。誰かが差別的な発言をしたら、声を上げてください。あなたが黙っていると、私が苦しむんです」
別の大学生の黒人女性も同じような経験をしたと話した。
孤児として黒人の里親に育てられた彼女は、両親に比べて肌の色が薄い。幼い頃、父親がガソリンスタンドで給油していると、二人の警官が近づいてきて関係を聞かれた。親子だと答えても信じてもらえず、全く抵抗していない父親が手錠をはめられた姿を鮮明に記憶しているそうだ。
「たくさんの人に一緒に立ち上がってほしい」と人前で話すのが苦手そうながら、声を振り絞って訴えた。
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