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ニュースが取り上げない米デモの真実~立ち上がるアメリカの若者~

変わる郊外

 今回は、オレンジ郡で開かれた集会の様子を紹介し、どのようにデモが企画され、どんな人々が参加し、何に抗議し、何を求めているのかを紐解いていく。そこにはアメリカの民主主義の源流が見える。

 土曜の午後3時に始まる抗議デモについて知ったのは、インスタグラムの投稿だった。

 昼食を買いに出かけたら、近所の道が閉鎖されていて地元でも集会があるのだと気付いた。自宅から車で1時間くらいのロサンゼルス市内で大規模デモが起きているのは知っていたが、地元紙のサイトやソーシャルメディアをちょっと調べただけで、オレンジ郡内だけで少なくとも6カ所で集会があると分かった。

 インスタグラムの告知では、平和的な抗議であることが強調され、マスクを着用し、ソーシャルディスタンスをとるよう書かれていた。デモが広がり始めた頃の暴力行為が問題視されたのを受けてのことだろう。

 車で10分くらいの公園でも開かれるというので、ノートとペンを持って急いで向かった。

 集会が開かれたタスティン市は、人口約8万人のベッドタウン。普段はデモなどとは無縁の場所だが、住宅街と小さなショッピングセンターに囲まれた公園の芝生広場には、人だかりができていた。

 参加者の半数以上は、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命だって大切)」「ジョージ・フロイドのために正義を」「黒人に対する戦争に終止符を」などのメッセージが書かれた手書きのプラカードを持参していた。

 筆者の目測で1000人は集まっていた。大半は10代、20代の若者だが、子連れ家族や中高年層も混じっていた。人種構成は、7割くらいが白人で、残りが黒人、中南米系、アジア人など。ほとんどがタスティンや周辺在住の地元民のようである。

 筆者は記者として過去12年間、アメリカで数々のデモを取材してきたが、タスティンのような住宅地にこれだけの人数が集まるのは初めてだ。

 アメリカでは、黒人など非白人が多くなった都心部から、上流・中流階級の白人が郊外に移っていった歴史がある。ホワイト・フライト(白人の脱出)と呼ばれる現象だ。オレンジ郡も、元々は白人が大多数を占める保守的な地域で、人種的に多様な隣のロサンゼルス郡とは「オレンジのカーテン」で隔てられているとまで言われていた。

 黒人男性のロッドニー・キングさんに激しく暴行した警官4人が無罪になったことをきっかけに起きた、1992年のロサンゼルス暴動。当時を知る人たちは、隣のロサンゼルスが混乱する中、オレンジ郡ではデモの盛り上がりもなかったと話す。

 それから30年弱、オレンジ郡を含め、アメリカの郊外は変わった。人種的に徐々に多様化し、そこで育った子供も親世代とは異なる価値観を持つ。多くの若者は、人種差別に敏感で、LGBTQや女性や移民の権利推進、銃規制や環境規制に積極的だ。

 「タスティンのような場所で、抗議デモを開くチャンスがあると初めて感じた」と集会の発起人であるアンドレ・ジョーンズ(24)さんは筆者に話してくれた。「過去には声を上げてはいけない雰囲気がありました。黒人の命のために、こんなにたくさんの人が立ち上がってくれるとは思っていませんでした」

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