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消えゆく毒ガス島の記憶 瀬戸内に浮かぶウサギ島

罪の意識と自身の後遺症

 1年間毒ガスづくりに携わった後、1944(昭和19)年に京都・宇治の火薬工場に転属となり、翌年終戦を迎えた。その後、農業を営んでいた藤本さんは40代からせきに悩まされ始める。

 島で作業に従事したことで後遺症に苦しむ人々がいることが明らかになったのは52年。激しいせきに苦しんで亡くなった元工員男性=当時(30)=は解剖の結果、肺がんだったことが判明した。

 若年で肺がんを患った男性の死に疑問を抱いた広島大学医学部は、元工員らの死因調査や集団検診を行い、工場で毒ガスに接したことで悪性腫瘍ができやすくなっていることを突き止めた。こうした調査などによって毒ガスと後遺症の因果関係が明らかとなり、54年には元工員らへの補償の道が開かれた。

 毒ガス障害者の認定を受けた元学徒や元工員は2015年4月時点で全国に2150人。認定申請には工員手帳など書類の提出が必要だが、当時の書類が残っていない場合も多く、認定のハードルは高い。藤本さんは95年に68歳で慢性気管支炎による毒ガス障害者と認定された。

 仲間の大半は肺がんなどで亡くなった。「働いているときは、後遺症が残るとは思わなかった」とつぶやく。03年には胃がんも患い、毎日の薬が欠かせない。

 「自分のしたことは犯罪」。毒ガスづくりに携わった罪の意識は今も重く心にのしかかる。「私は人の面をかぶった鬼になっていた。人に戻るには過去の自分の責任をしっかりとらえなければいけない」

 藤本さんは、20年前から小学校などで自らの体験を証言する活動を続けている。存命の元工員はいるが、一様に口は重い。「私がいなくなれば、証言をする人はいなくなる」と憂う。「戦争経験者は若者に過去の事実を正しく語り継ぐ責任があるのです」。しっかりした口調で語る藤本さんの目には強い意志が表れていた。

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