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消えゆく毒ガス島の記憶 瀬戸内に浮かぶウサギ島

地図から消された島

 今は島全体が国民休暇村となり、野生のウサギと触れ合える島として多くの観光客が訪れる大久野島。広島県竹原市の瀬戸内海に浮かぶその島は、かつて旧日本陸軍の毒ガス製造所が存在し、戦時中に毒ガスを生産していたことは、あまり知られていない。

 島に旧陸軍の毒ガス製造所(正式名、東京第2陸軍造兵廠忠海製造所)が開所したのは、1929(昭和4)年5月19日。旧陸軍は第1次世界大戦(1914~18年)中から毒ガス兵器の研究に着手しており、25年にドイツの科学者メッツナー博士を招いて開発を進め、致死性の毒ガスの合成に次々と成功した。

 大量生産に向け工場の建設地を探していた旧陸軍は、万が一事故が起きても被害が少ないことや離島で秘密が守れることから、大久野島に目を付ける。当時島に暮らしていた3世帯を強制移住させた上、軍事秘密保持のために地図からもその存在を消した。

 開所前から関わっていた元工員の故服部忠さんが記した「秘録 大久野島の記」によると、5月19日は「快晴に恵まれた暖かい日」で開所を祝うために広島県知事や軍関係者ら多くの賓客が島を訪れたという。

 不景気にあえいでいた周辺住民にとって、工場建設はまさに干天の慈雨だった。工場にはフランスから導入した毒ガス製造設備が設置され、約20人の工員で始めた操業は手探りだった。危険な薬品を使った作業は、何人ものけが人を出した。その後、製造方法を確立すると、40年から専門的に製造を担う養成工の育成を始める。

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