国境の島、長崎・対馬。海峡の向こうに朝鮮半島が迫る。韓国まで49、5キロ。釜山(プサン)の街並みがかなたにのぞく。古くから大陸とつながる海上交通の要港。遣隋使、防人(さきもり)、元寇、朝鮮出兵、朝鮮通信使、日露戦争―。交易、争いの歴史が刻まれる。
絶滅の恐れがある国の天然記念物「ツシマヤマネコ」は対馬にだけ生息している。環境の悪化で生息域が狭まり、80―110頭にまで減少している。
朝鮮半島・白村江の戦い(663年)で唐、新羅連合軍に敗れた後、大陸からの侵攻に備え、西日本各地に防人が配置され、最前線の対馬には浅茅湾の南側に金田城が築かれた。天然の地形を利用した山城で、今でも3つの城門や石塁が残っている。
鎌倉時代から対馬を統治していた宗家。大陸との交易が、離島の財政を支えていた。しかし、豊臣秀吉の朝鮮出兵により国交が断絶。窮地に陥った対馬藩・初代藩主宗義智は朝鮮王朝と徳川幕府を仲介。幕府国書の偽造、朝鮮からの返書の改ざんなどの工作をしてまで、朝鮮通信使の再開(1607年)にこぎつけた。通信使はその後11回やって来た。
宗家の菩提(ぼだい)寺、万松院。桃山様式の山門をくぐって中へ。本堂には、藩主の死去を弔い朝鮮国王から贈られた香炉、花瓶、燭台(しょくだい)の「三具足」が。徳川歴代将軍の位牌(いはい)も供えられている。
「百雁木(ひゃくがんぎ)」と呼ばれる132段の石段を登る。「樹齢1000年」と伝わる大杉が現れた。その向こうに歴代藩主たちの墓が並ぶ。初代義智に比べ、朝鮮貿易で潤った3代義真の墓の豪華さが際立つ。
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