アジアの国では初の地下鉄が、東京の上野―浅草間(2.2キロ、現在の銀座線の一部)で運行を開始してから12月30日で90年になる。「東洋唯一の地下鉄道」(当時のキャッチコピー)は、国策で整備されたわけではない。「東京には地下鉄が絶対必要」との強い思いを抱いた一民間人が資金集めに奔走し、政財官界に粘り強く働き掛けて実現させたものだった。現在では世界最大規模の1日約720万人が利用する東京地下鉄(東京メトロ)。その歴史を振り返るとともに、現在の課題や将来像を見ていきたい。(編集局編集委員 石井靖子)
ロンドンで一念発起
「早川徳次(のりつぐ)のすごいところは、現在われわれが進めていかなければならないと考えていることを90年前に実行していたことです」。東京メトロの中堅幹部は、「創業者の思いは現在でも社内で受け継がれていますか?」との質問に即座にこう答えた。
早川は1881(明治14)年、山梨県御代咲(みよさき)村(現笛吹市)生まれ。早稲田大卒業後、複数の鉄道会社勤務を経て渡欧中の1914(大正3)年、ロンドンで地下鉄を目の当たりにし、「東京にも地下鉄が必要だ」と痛感した。当時、東京では路面電車が主要な交通機関だったが、渋滞で遅延は当然だった上、いつでも超満員。電車の外にぶら下がって乗車する人も珍しくなく、お年寄りや女性、子どもには不向きな乗り物だった。
帰国1年後の17年には、東京軽便地下鉄道(20年に東京地下鉄道と改称)を設立。あらゆるつてをたどって資金集めを行うとともに、免許取得に向けた働き掛けを始めた。何もかもが初めてのことで、「地盤が軟弱な東京に地下鉄など無理だ」と揶揄(やゆ)する人も多い中、自ら調査を重ねた。路線の選定に当たっては街頭に立って人の流れを調べ、浅草から上野、新橋を経て品川までを結ぶ路線が最も利用が見込めると判断。19年には念願の免許を得た。
新着
会員限定