―長官として五輪を迎える。スポーツ庁も東京大会のレガシーとなる存在。五輪が終わった後、日本のスポーツがどのように発展することを期待するか。
1964年大会は大島鎌吉(おおしま・けんきち)さんが強化のトップで頑張り、メダルの目標を達成した。それと同時にスポーツ少年団という将来の宝を育てるような組織づくりをした。五輪とパラリンピックが終わってから、メダルが何個だったという議論もあるだろうけど、中高年を含めた総合型地域スポーツクラブというのが大事になると思う。超高齢化社会の中でスポーツの果たす役割は大きい。健康寿命の延伸、活力ある社会、医療費の軽減、いろんなことがスポーツで可能になる。プラス若い人の夢を達成するための少年団を地域スポーツクラブで担えば、地域が活気づく。これをやらないといけない。
―鈴木長官にとってオリンピックはどういう存在だったか。
私にとっては夢だった。思い返すと、なぜか分からないけど、スイミングクラブ入会の目的欄に、泳げなかったのに「将来オリンピック選手になる」と書いた。家族からは馬鹿にされたけど、やっぱり縁があったのかな。いつかは出たいと何となく思っていたのだと思う。それが7歳の時。10年頑張って、ロサンゼルス五輪に出場したけど、本当に若い時に何をやっていたと聞かれると、五輪だよね。仕事というわけではないけど、本当に夢だったし、頑張れるネタだった。五輪に出て、メダルを取るということが最大の夢だった。
―(インタビュー当日は2月27日)新型コロナウイルスの感染拡大に日本のスポーツ界は揺れている。
今は自粛ムードになって、これから経済が相当落ち込んでいくはず。良くないニュースも出てくると思うけど、五輪・パラリンピックを柱に盛り返していかないといけない。日本で絶対に開催しないといけない。(2020年3月配信)
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鈴木 大地(すずき・だいち)7歳で水泳を始め、千葉・市船橋高3年時に84年ロサンゼルス五輪に出場。順大に進学し、88年ソウル五輪男子100メートル背泳ぎで金メダル。92年に現役を退いた後は、米ハーバード大水泳部でゲストコーチを務めた。09年に日本水泳連盟理事、13年に同会長。15年に設立されたスポーツ庁の初代長官に就任した。1967年3月10日生まれ。千葉県出身。
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