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「負けない」と臨んだソウル五輪 スポーツ庁・鈴木大地長官【東京五輪インタビュー】

瀬戸に注目

 ―今夏は東京五輪を迎える。オリンピアンとして現役の選手をどう見ているのか。

 スポーツをやっていて、五輪に行くのは一つの夢。人生を懸ける価値はあると思う。行けるのは一部の選手で、残念ながら行けなかったという人の方が多いけど、その努力は無駄にならない。送ってきた人生に誇りを持ってもらいたい。胸を張って、五輪を目指して駄目だったけど、悔いのないアスリート人生だった、と胸を張ってもらいたい。若い時の可能性は計り知れない。大きく化けて、変われる年代。どんどんチャレンジをしてもらいたい。

 ―競泳では瀬戸大也(ANA)が金メダル候補。彼への期待は。

 私はなまけ者なので、なるべく注目をされないようにして金メダルを取りたいと思っていた。前年に目立ち過ぎてもよくないし、適度に自信も持たないといけない。瀬戸君みたいにやるのは僕には厳しい。彼は自信を持っているし、(前年に代表を決めて)最後の詰めをやるという段階。今はリターンもあるけど、その分責任や注目、プレッシャーも大きい。頑張ってほしい。

 ―鈴木長官もプレッシャーと戦っていたのでは。

 今に比べると、世界で戦える選手は少なかった。ソウル五輪は(全競技で)金メダル4個。そういう中で自然と注目が集まるけど、今より事前情報も少なかったし、(報道も)過熱していなかった。水泳は16年間、メダルを取っていなかったし、取れるわけがないと、思っていた人が多かったと思う。

 僕もなるべく注目されないで、さくっと取りたいと思っていた。ロサンゼルス五輪でもメダル候補の女の子がいたけど、みんながわーっと行って、プレッシャーに負けちゃったのかな。そういうのを見ていたので、注目を浴びすぎて萎縮してしまうようなやり方は避けたかった。

 ―現役時代に1964年東京五輪の選手から話を聞いたり、五輪について学んだりしたことはあったか。

 所属していたスポーツクラブで小野喬さん(おの・たかし=体操で東京大会など五輪4大会に出場し、金メダル5個を獲得)が顧問か役員をやられていたので、高校生くらいから話をさせてもらっていた。そういう世界があるとは知っていったけど、僕は大学4年くらいで五輪に出られればいいな、と思っていた。

 繰り返しになるけど、そういう時に1大会早く目指せるよと(鈴木コーチから)聞いて、だったらやってみようとなった。あれは大きかった。人生のスイッチが変わった感じ。将来的に出たいとは思っていたけど、だったらチャレンジしようと。自分の評価を客観的に厳しく見ることは必要だけど、意外に自分のことは分からない。スポーツ庁長官になるとは思っていなかったし。周りが意外に見ている。ハッタリか過大評価かも知れないけど、コーチが「行けるかもしれない」というのならちょっとやってみようと。チャレンジして良かったね。

 ―日本水泳連盟の会長も務め、ステップアップしていった。

 普通は60~70歳で会長になるのだけど、46歳でなった。よく水泳連盟が任せようと思ったなと。いずれやらなきゃいけないとは思っていたし、今の60~70歳は若いけど、もっと元気に働けるうちにガンガンやろうと思った。60~70歳でやるとなると新しく変えよう、変革しようという気持ちもだいぶ収まってしまうのではないかと思った。40代で水泳の発展を考えると、やれることがたくさん出てくるし、エネルギーも多い。もっと変えていかないといけない、という危機感も持っていた。若い時の方が将来に向けて考えている。

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