大相撲の不祥事はなぜ繰り返されるのか。これでも「厳選」だが、昭和・平成の事件や騒動をたどると、あちこちに「既視感」を覚える。狭い世界にいてまひした感覚。事を甘く見て遅れる対応。監督官庁などの外圧に弱い体質。いざとなるとバタバタと急いで収束を図る-。
元横綱日馬富士による傷害事件を受けて開かれた2017年12月20日の日本相撲協会臨時理事会後、八角理事長(元横綱北勝海)ら協会幹部は、過去の不祥事を「風化させない」と語り、改めて再発防止を誓った。(時事ドットコム編集部)(肩書、年齢などは当時)
◆春秋園事件(1932年)
改革求め新団体設立
出羽海部屋の関脇天竜ら32人の力士が、1月場所前に東京・大井の中華料理店「春秋園」に立てこもった。「天竜事件」とも呼ばれる。天竜らの目的は相撲協会の改革で、①協会の会計制度確立②興行時間の確立③入場料引き下げ④相撲茶屋の廃止⑤年寄制度の漸次廃止⑥養老金制度の確立⑦地方巡業の抜本的改革⑧力士の生活安定⑨余剰人員の整理⑩力士協会の設立と力士共済制度の確立。その後に実現したものもあれば、今も懸案として残っているものもある。
協会の回答は不誠実で、天竜らは脱退して「新興力士団」を結成。残った力士の一部も天竜らと別の新団体「革新力士団」を旗揚げして事態は泥沼化した。結局、関取62人中48人が脱退。新興力士団と革新力士団は「大日本相撲連盟」を結成し、興行は人気を博した。
しかし、力士の待遇改善には至らず、協会による切り崩し工作も進行。天竜らは大阪に拠点を置く「関西角力協会」を設立し、既存の協会と競い合う道も探ったが、20人近い力士が意思決定の進め方などに異を唱えて脱退してしまった。
存続困難となった関西角力協会は37年に解散し、天竜らは相撲協会に復帰を願い出て迎えられた。この5年の間に双葉山が横綱に昇進するなどして、大相撲人気は回復。天竜は責任を取って現役を引退したが、協会から処分されず能力を買われて活躍の場を与えられたほか、ラジオ解説を務め、中華料理店「銀座 天龍」も開店するなど才覚を発揮した。
◆璽光尊事件(1947年)
「大双葉」にも心の迷い
女性教祖・璽光尊(じこうそん)が率いる「璽宇(じう)」は、戦時中に生まれた新興宗教で、天変地異の到来を吹聴して終戦直後の人々の不安をあおり、世直しをうたって信者を集めていた。その中に、大横綱双葉山や囲碁の呉清源もいた。
本拠地は金沢市。石川県警は、璽宇が人心を乱し、信者が貢いだ統制物資の米を大量に所持しているとして食糧管理法違反容疑で璽光尊に出頭を求めたが、応じなかった。
このため1月21日夜、警官隊が本部へ突入し璽光尊を逮捕。その場には引退して時津風親方になっていた双葉山もおり、教祖を守ろうと、警官隊相手に大暴れして逮捕された。逮捕後、旧知の記者に説得されて目が覚めたように璽宇からの離脱を明言し、釈放されている。県警の捜査は、国民的英雄・双葉山を「奪還」するのが本来の目的だったともいわれた。
双葉山が引退したのは45年。なぜ璽宇に引かれたのかは定かではないが、高い志でひたすら相撲道を追求した「大双葉」も、現役の終わりと終戦が重なり、心の迷いや弱さが生じたのか。本人は「悲しいかな、私には学問がなかった」と述懐したという。
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