ミュンヘンのコートに刺さったクロス打ち 横田忠義さん【スポーツ鎮魂歌】

2023年05月23日17時00分

激痛に耐え、大逆転と金メダル

 横田忠義(よこた・ただよし)さん、バレーボール男子五輪金メダリスト、元全日本女子監督、2023年5月9日死去、75歳。

 香川県三豊市出身。中央大1年で松平康隆監督率いる全日本に選ばれ、68年メキシコ五輪銀メダル。70年松下電器(現パナソニック)入り。193センチの長身で強烈なクロススパイクなどを武器に、72年ミュンヘン五輪金メダル。引退後は日本電気ホームエレクトロニクス監督、94、95年の全日本女子監督を務めた。

 ◇  ◇  ◇

 日本の男子バレーボールが1972年ミュンヘン五輪に照準を定め、金メダル獲得長期計画を進めていた時だった。

 松平康隆全日本監督の前に、身長190センチ台の3人の若者が出現した。大古誠司、森田淳悟、横田忠義。まさに天の配剤だった。松平さんは生前、「あれで金メダルを確信した」と話していた。その「ビッグスリー」の一人、横田さんが死去した。

 世界一を目指した、世界一厳しい練習。大男たちに守備力を身につけさせるため「レシーブ練習ばかり6時間、それを100日続けたこともあった」(横田さん)。

 ファンの目に、今も焼き付いているのがミュンヘンの準決勝、ブルガリア戦だ。横田さんは持病の腰痛を和らげるため、腰に自転車のチューブを巻いて出場した。2セットを先取される大ピンチ。腰は限界に近かった。

 松平監督の指示で、コートチェンジのわずかな時間に整体を受け、再びコートへ。激痛に顔をゆがめ、脂汗をかいて打ち続けた。奇跡の大逆転。決勝で東ドイツを破ると、横田さんは大古らに体をぶつけるように抱きつき、号泣した。

 高校時代からの腰痛。金メダルのための猛練習が、痛みを増幅させた。腕の振りが強過ぎて、腰に過度の負担が掛かるのだともいわれた。

 引退後は日本電気ホームエレクトロニクスの監督に。大古さんが監督を務めたサントリーのような強豪と違い、地味なチームを率いた。そうかと思えば94年には突然、全日本女子の監督に。女子指導の経験もなく「なぜ自分が…」と戸惑いながら引き受け、翌年退任。指導者としては苦難の連続だった。

 腰の激痛は引退後も続いた。つらさを酒で紛らす日々もあったが、「猛練習があったから金メダルを取れた。腰のことを言っても仕方のないこと」。そう穏やかに話したのは、2011年に松平さんが亡くなった時だった。(時事通信社 若林哲治)(2023.5.17)

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