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コラム:スポーツがある日常 (2015/12/24)
 スポーツ千夜一夜

 戦後70年という意識も手伝い、今年は平和の意味について考えることが多かった。とりわけ集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法が成立した9月には、スポーツのイベントが開催される当たり前の風景のありがたみを改めて感じたものだった。

 安保関連法成立で騒然とした空気の残る中、今度は多くの日本人が深夜までテレビにかじりついて歓喜に浸った。ラグビー・ワールドカップの日本の大金星だ。過去2度優勝の南アフリカ共和国を破った一戦はまさに感動ものだったが、かつてはこうした奇跡が起こりようもなかったことを思うと、歴史的な瞬間の重みはさらに増した。日本の実力の問題ではなく、南アと対戦すること自体ができなかったからである。

 南アは1991年にアパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃するまで長く国際スポーツ界から締め出されていた。76年にはニュージーランドのオールブラックスが南ア遠征を敢行したことが反発を呼び、アフリカ諸国が同年のモントリオール五輪をボイコット。86年にはニュージーランドの選手らが非公式のチームで南アへ向かい、「反逆者たちの遠征」として大騒ぎとなった。

 最高の対戦相手を求めるのはアスリートの本能だ。しかし、冷戦時代にモスクワ五輪とロサンゼルス五輪で東西両陣営がボイコットし合った例を引くまでもなく、スポーツは常に国際情勢に翻弄され、為政者のツールにされてきた。栄冠を争うにふさわしい選手やチームがきっちりと舞台にそろうことは、当たり前のようで実はそう簡単なものではない。

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