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コラム:アーリー・デイズ
 スポーツ千夜一夜

 若い頃、テレビであるCMを見ていて複雑な気持ちになったことがあった。理屈としては分かるけれど、果たして自分はそんなつわものになれるのか、と。「緊張しちゃ駄目ですね。プレッシャーを楽しむことができれば、その人は勝負強いですよ」。栄養ドリンクのCMで、声の主は長嶋茂雄さんだった。

 最近は若いスポーツ選手が世界選手権や五輪の大舞台に向かう前に、「精いっぱい楽しんできます」などと笑顔で話す。グローバルな時代に合わせて物事の捉え方も進化しているのだろうが、プレッシャーを払いのけるため自分に言い聞かせている部分も多分にあるように思う。

 15年ほど前に、ある競技の女性コーチからこんな話を聞いた。彼女は外国に遠征するたび、持参したビデオで競技会場の様子を撮影していた。たとえば入り口からアリーナまでファインダーをのぞきながら歩き、選手が大会中に通る道筋を映像に収めるのである。いつか教え子がその会場で行われる大会に出るときが、映像の出番。これを事前に見せることで少しでも会場の雰囲気になれさせ、現地に入ったときの緊張を和らげようという涙ぐましい親心だった。

 プレッシャーと闘う選手の心理を垣間見るような話である。とはいえ、スポーツ界の第一線にいるような選手が、不安や恐怖について正直に語ることはあまりない。口に出してしまえば、自分の弱さを認めることになるからだろうか。それだけに、ヤクルトの宮本慎也内野手が昨年、引退を表明したときに語った言葉は印象に残った。

 「プロになった瞬間に仕事として向き合ってきた。最近は『楽しむ』ということをよく聞くけれど、僕は一回も楽しんだことはない」

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