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コラム:「逆回転」できないから
 スポーツ千夜一夜

シドニー五輪の準備を進める川廷さん(川廷家提供)

 2020年夏季五輪の開催地が決まる前は、正直なところ東京は選ばれなくてもいいと思っていた。東日本大震災からの復興が遅々として進まない中、五輪関連の準備に大量の建設資材や人手が回ることには抵抗があったからだ。原発汚染水の問題もあり、今でも東京五輪に反対という人は少なくないだろう。

 しかし、いったん開催が決まった以上、貴重なチャンスだと考えて取り組まなければ意味がない。必ずその成功により復興の後押しをすること。そして東京をバリアフリーのお手本のような街に変えるきっかけにするのもいい。何十年も後に、被災地の人はもちろん、誰もが「あのとき開催してよかった」と思えるものにしたい。

 五輪やアジア大会などの国際総合競技大会を開くことの意義とは何か。8月に79歳で亡くなった国際テニス連盟終身名誉副会長の川廷榮一さんから生前いただいたヒントは、今でも大事なベースとして私の中に残っている。

 あれは1999年、アジア・オリンピック評議会が韓国・釜山で総会を開いたときのこと。メーンの議題は2006年アジア大会の開催都市の選定で、投票の結果、カタールのドーハが選ばれた。クアラルンプールと香港の争いになるとみられていたため、ドーハに決まった瞬間、会場に妙などよめきが起きたという記憶がある。

 ドーハは宗教上の事情もあり女性スポーツの開放の度合いが低いことが弱点といわれていた。しかし結果的にオイルマネーがものをいったらしい。クアラルンプールの招致関係者は、腹立たしそうに「カネの力に負けた」と吐き捨てていた。ドーハの潤沢な資金から何らかの見返りを期待した国が支持に回ったのだという。閉会後、ホテルのロビーで顔を合わせた川廷さんも怒っていた。

 「金持ちの都市ばかりを選ぶようでは、将来の開催を夢見る都市が希望を持てない。今回の決定は、大きな重荷を残したと思いますよ」

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