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コラム:「ウオツカと日本酒」
 スポーツ千夜一夜

五輪で計15個のメダルを獲得したニコライ・アンドリアノフさん。体操の名選手として日本の強力なライバルだった=1972年5月4日、ドイツ・ハンブルク【EPA=時事】

 旧ソ連の男子体操選手で、1970年代に「体操ニッポン」のライバルとして活躍したニコライ・アンドリアノフ氏が58歳の若さで亡くなった。3月21日、モスクワの東200キロにある故郷ウラジーミルで息を引き取ったという。五輪や世界選手権で輝かしい成績を残し、日本と深い縁もあった同氏だが、東日本大震災の報道に埋もれるようにしてこの世を去ってしまった。

 五輪史上でも群を抜く成績を誇った。72年のミュンヘンから76年モントリオール、80年モスクワまで3大会に連続出場し、計15個のメダルを獲得。2008年北京五輪で競泳のマイケル・フェルプス(米国)が通算16個目のメダルを獲得するまで、それが男子の最多記録だった。94年から02年までは朝日生命体操クラブで塚原直也のコーチを務め、日本のエースに育てたことでも知られている。

 彼に関する記憶といえば、やはり76年のモントリオール五輪だ。当時中学生だった私は、日本の奇跡の団体総合5連覇をテレビで見たが、アンドリアノフの「かっこうよさ」の方が強烈な印象として残っている。眼光は鋭く、演技は正確で力強く美しい。体操ニッポンに敢然と挑み、個人総合タイトルを奪った好敵手。遠い北の国で黙々と技を磨く姿を勝手に想像したものだった。

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