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コラム:母にぶたれたプロ野球選手
 スポーツ千夜一夜

=山本一義さんの「ビンタ」の思い出=

元広島・山本一義選手のバッティング=1971年、後楽園【時事通信社】

 久しぶりに、紙面で山本一義さんの名前を見た。毎日、阪神などで活躍したプロ野球の大打者・山内一弘さんの訃報に接し、哀悼の言葉を述べている。昭和40年代の広島カープで、クリーンアップを打った仲。遠征先の宿舎で「その日のバッティングの反省と翌日の目標を、朝まで語り合った」こともあるという。

 「山内さんは人間関係の大切さを伝えたかったのだと思う。自分の持っているものを伝えたいという気持ちにあふれた人だった」
 時事通信社は、山本さんの談話をそう伝えた。この人ならではの、真心のこもった言葉のように思えた。山本さんもまた、ことのほか人間関係を大事にする人である。広島時代、ロッテの監督時代を通じて、その真摯な生き方と人間的な魅力で多くの人の心をひきつけてきた。
 以前、山本さんに聞いた「ビンタ」の話が忘れられない。子と親、監督と選手の間柄で、二度「事件」があった。親には人間関係の大切さを教えられ、選手にはそれを教えることの難しさを思い知らされた。

 昭和36年春、山本さんは法大から鳴り物入りで入団した。期待の大きさの表れか、連日のように新聞記者に追い回された。ある日、とある記者から「自宅を尋ねて取材してもいいか」との申し出を受けた。家族の話も聞きたいという。快諾し、日時の約束をした。いい機会だから、親のこともたっぷり自慢しようと思っていた。

 厳格な両親のもとで、山本さんは育った。挨拶、食事作法、勉学、言葉づかいなど、幼い頃から厳しくしつけられてきた。怠ると母に物差しでたたかれた。庭の木につるされた覚えもある。「人様にうそをついてはなりません。真っ正直に生きなさい」と母は教えた。周囲に人柄の良さを褒められると、山本さんはいつも「親の教育のおかげです」と答えたものだ。

 数日後。深夜自宅へ戻った時、玄関に見慣れぬ靴があるのを見て客人がいることを知った。母が飛んできた。「ただいま帰りました」の言葉が終わらぬうちに山本さんの頬が激しく鳴った。

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