11月5日、全日本大学駅伝対校選手権で優勝した神奈川大学の大後栄治監督が、選手たちによる胴上げを断った。9月28日には、今季限りで退任したプロ野球阪神の掛布雅之2軍監督が、最後の試合を終えて選手たちが胴上げしようとしたのを、断っている。
神奈川大は20年ぶりの優勝だったが、大後監督は、近くにいた他の大学の気持ちを考えてのことだという。掛布監督は「胴上げは勝者がするもの。僕自身の気持ちが(自分は)胴上げをされる身ではないな、と」と語った。敗者への気遣いという意味では、張本勲氏もテレビ番組で、昨今の選手たちの派手なガッツポーズに再三苦言を呈しているので、大後監督の対応が理解できる人は多いだろうが、掛布監督の言葉を聞いて、今日の若い人は「胴上げってそういうものなの?」と思うかもしれない。
胴上げの起源は、善光寺(長野県)の行事で行われたのが始まりなどとする幾つかの説があり、少なくとも江戸時代には行われていたらしい。以来、主に歓喜や祝意、感謝の気持ちを表わす「儀式」として広まり、やがて大学の合格発表で難関を突破した生徒や、結婚披露宴の後で新郎が、友人たちに胴上げされる光景が定着した。今では海外でもしばしば行われる。
トップスポーツの世界では掛布監督の言う通り、勝者だけに許される歓喜のセレモニーだとの考えが強かった。1985年、阪神は64年以来のセ・リーグ優勝を果たし、神宮球場で歓喜の胴上げをした。観客取材のため三塁側スタンドにいた筆者は、九回表に掛布の打球がスーッと通り過ぎ、左翼ポールに当たった場面が、今も目を閉じると再生される。ナインの呼吸が合わず、吉田義男監督の体が立ち上がったような不恰好な胴上げだったのはご愛嬌。阪神ファンは感涙にむせびながら「21年ぶりやさかい、やり方が分からんかったんや」と自虐的に笑ったものだ。
両手を「V」の字に広げ、足も伸ばして美しく舞ったのは巨人の長嶋茂雄監督だ。現役時代、絵になる三振の仕方を考え、引退後も選手時代の体型を維持するために人知れぬ努力をしていた人だけに、胴上げされる姿も研究していたのではないか。
胴上げの輪の外で、観客やテレビカメラの方を向いて万歳をするパフォーマンスは、87年に西武の工藤公康らが見せたのが初めてだと記憶している。その後、出遅れて輪の中心に近付けない選手や、目立ちたい選手が真似をするようになった。
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