◇3度目の挑戦、メダル届かず 2006年トリノ冬季
皆川賢太郎の1回目は完璧だった。直線的なラインどりで攻め、1回目首位のベンヤミン・ライヒ(オーストリア)と100分の7秒差の3位。メダル圏内につけ、金メダルも視界に捉えた。「これぐらいやれるんだよ、というのがあった」。有力選手が次々と途中棄権を喫した展開で快挙に手が届きかけた。
イタリア・セストリエールで開催された2006年トリノ五輪アルペンスキーの花形種目、男子回転。1998年長野、02年ソルトレークシティー両大会は不本意な形で終えた皆川だったが、02年五輪後の左膝靱帯(じんたい)断裂の大けがを乗り越え、3度目の五輪は上り調子の状態で迎えていた。
運命の2回目。力まずに80%を心がけ、緩斜面で120%攻めようと自身に言い聞かせた。
滑り終えた時点で2人残して3位。直後に1回目2位の選手がゴール後に失格し、銅メダルの可能性が残った。しかし最後のライヒは盤石の滑りで優勝。合計タイムで3位と0秒03差の4位で表彰台を逃した皆川は「ものすごく悔しい。メダルは欲しかった」と率直な思いを打ち明けた。
100分の1秒を争う戦い。その2回目の序盤、右ブーツの一番上のバックルが外れるという不測のアクシデントに見舞われていた。ゴール後に気付いた皆川は、スキーのエッジが利かなかった要因が分かったと述懐している。
不運はあった。それでも皆川は、1956年コルティナダンペッツォ大会男子回転で銀メダルを獲得した猪谷千春以来、半世紀ぶりの入賞を遂げ、湯浅直樹も7位でダブル入賞。冬季五輪で日本勢のアルペン種目入賞は、この3例しかない。(2020.5.13)
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