◇内村、個人総合で真価の証明 2012年ロンドン
19歳で挑んだ2008年北京五輪は、体操日本男子の団体銀メダルに貢献。個人総合でも銀メダルを手にし、内村航平は世界に名を知らしめた。翌年からは、世界選手権の個人総合で3連覇。12年ロンドン五輪には絶対的な存在として乗り込んだ。
王者が「最大の目標」と口にし続けたのが、日本が04年アテネ五輪を最後に五輪と世界選手権で逃し続けていた団体金メダルだった。
だが、予選は他の選手のミスに引きずられるようにして、得意の鉄棒で落下。あん馬でも旋回技で落ち、団体の日本は予選5位にとどまった。個人総合はまさかの9位通過。調子は万全と自覚していながら失敗が続き、「五輪は改めて何が起こるか分からない」と痛感した。
2日後の団体決勝。予選に続いて全6種目に出場した内村は気迫の演技を続けた。ところが、日本は宿敵の中国に約4点の大差をつけられて銀メダルにとどまる。2種目目の跳馬で山室光史が左足を骨折するアクシデントに見舞われ、内村自身も最終種目のあん馬で最後の倒立技が乱れた。
ようやく真価を示したのが、さらに2日後の個人総合決勝だった。団体と違い結果にこだわらず臨んだことで、落ち着きを取り戻せたという。不安視された1種目目のあん馬を無難に終えて流れに乗り、続く跳馬は高難度技の着地をぴたりと決めてガッツポーズ。平行棒と鉄棒は難度を落とした構成を無難にこなした。
最終種目のゆかは両手をつく場面があり、演技後は少しだけ苦笑い。それでも、2位に1.659点差と地力の違いを見せつけ、五輪の頂点を極めた。
表彰式ではメダルをじっくりと見詰め、「ようやく、自分が自分であることを証明できた」と頬を緩めた。種目別ゆかでも銀メダル。
だが、大会を総括するコメントに、内村らしさがにじんだ。「(ロンドン五輪は)反省しかない。エースとして出させてもらっているのに、ミスが出てしまった。神様が僕に試練を与えたんじゃないかな」。体操ニッポンを引っ張る立場としては、団体の成績ばかりが気になった。(2020.6.20)
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