◇求め過ぎた理想の柔道 2004年アテネ
残り10秒余り。背負い投げで裏返しにされた井上康生の姿にどよめきが起こった。2004年アテネ五輪の柔道男子100キロ級4回戦。日本選手団の主将も務め、金メダルに最も近いと思われた存在が喫したよもやの敗北。00年シドニー大会に続く五輪連覇はおろか、メダルなしの結末を誰も予想していなかった。
アテネ五輪の柔道で日本は男女合わせて金メダル8個を獲得。「そのことより、康生が負けた五輪として記憶に残るのでは」と漏らした関係者がいた。世界選手権は03年大会まで3連覇と抜群の実績。五輪連覇を確実視されていた。
小差のポイントによる勝利に頼らず、得意の内股を武器に一本勝ちを重ねた。「柔道の魅力を具現する男」とも評された。真っ向勝負に見る者は魅了された。
一本勝ちを期待された中、「自分のいい部分だけを追い求め過ぎた」と敗因を挙げた。井上が釣り手を持とうものなら、相手は偽装攻撃気味のともえ投げなどを仕掛け、強烈な立ち技を封じにかかった。結局、得意の内股を返されてポイントを与え、劣勢を挽回しようと攻めた終盤に背負い投げに屈した。「相手が何をやってくるのかを追求していなかった」
感情を整えた井上は報道陣の前に現れ、「こんな悔しさは味わったことがない。次の人生に生かしたい」と言い切った。
その後は右大胸筋の大けがもあり、五輪の舞台に戻ることなく引退。現在は日本男子監督を務める。苦い経験を踏まえ、「勝つことで得た自信は何事にも変えられないものだが、それ以上に失敗、挫折も人としてより自分を太くしてくれるような気がしている」と言う。
「アテネも勝って終わりたかった。だが、負けることは絶対にある。だからこそ、より一層努力し、失敗、挫折を全て悪として捉えるのではなく、より成長できる肥やしだと受け止めないといけない」。栄光をつかんでの歓喜に悔し涙。その全てが、世界が憧れた柔道家の糧になっている。(2020.5.18)
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