◇浜口、旗手の大役も 2004年アテネ
とてつもなく大きく迫力のある声が、浜口京子のカンフル剤になった。「京子! 行けー、行くんだー」。2004年8月23日、アテネ五輪のレスリング女子72キロ級3位決定戦。観客席から父で元プロレスラー「アニマル浜口」の平吾さんが懸命の声援を続けた。この日、浜口は準決勝で敗れ金メダルを逃している。折れかけた心を再生させ、「銅」をつかみ取った。
26歳の娘と56歳の父。浜口が出場する試合の大半に平吾さんが駆け付け、叱咤(しった)激励した。負けて涙を流せば「泣くな京子! 前を向けー」。勝てば「よくやったぞ」と肩車する。浜口は少しはにかみながらも、素直に受け入れた。
日本レスリング協会は、「気合だ!」と連呼する平吾さんの強烈な個性を買って、国際大会の団長や特別コーチなどに抜てき。国内の主要大会には、平吾さんの浜口道場がある東京・浅草から「私設応援団」がやって来る。母の初枝さんも一員として声を張り上げた。
五輪イヤーの6月、浜口が日本選手団の旗手に決まった。記者会見で「とても光栄。夢と感動、元気と勇気を与えられたら」と語った本人以上に平吾さんは興奮。「重い木刀を持たせて練習させる。雷門から(浅草寺の)本堂まで入場行進の練習だ!」と気勢を上げた。
若き日、武者修行先の米国から年上の初枝さんに「ラブレターをね、それこそ何通も送ったんだ」。熱く、心優しい父。そのハートを娘も受け継いだ。倒すか倒されるかの格闘技。時に優しさが裏目に出ることもあったが、アテネでは泥臭く戦い抜いた。旗手としての責任感も自覚していた。
「もっと輝いているメダルが欲しかったけれど、私の人生で金メダル以上の経験をさせてもらった」。激戦で右のまぶたがはれ上がっていた。(2020.5.12)
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